ところが「期待しない」と話が違ってくる。「え? まさか?」という驚きの反応を示してくれるから、つい楽しくなる。すると、部下も子どもも、ナイショでこっそり努力して、ビックリさせてやろうとワクワクし出す。「どう? まさかここまでとは思わなかったでしょう! 驚いた?」。そして実際に驚くと、もっと努力して驚かせてやろうともくろむ。そして、努力し始めたこと自体に驚いてくれるから、もっと努力してやろうとますます努力する。

「驚かす」というのは、赤ちゃんの頃から備えている、根源的な喜びなのかもしれない。赤ちゃんはハイハイ、つかまり立ち、直立、伝い歩き、そして歩くという過程を、教えられもせずに、試行錯誤の中でマスターしていく。親はそれに驚嘆する。「教えもしないのに、どうして歩けるようになるのだろう?」と。

 なぜ親は驚くのだろう? 教えないからだ。というか、教えられないからだ。赤ちゃんは言葉が通じない。右足の次は左足を出すんだよ、と言ったって、そもそも右と左の区別がつかない。仕方ないから見守るしかない。見守っているだけなのに、次々とできることを増やしていき、マスターしていく。だから、親は驚かずにいられないのだろう。

 ところが、子どもが言葉を話すようになり、会話が成立するようになると、どうも様子が違ってくる。「ああしたほうがいいんじゃない? こうしたほうが便利だよ」と、親が先回りして言葉で説明すると、子どもはとても嫌がる。いわゆるイヤイヤ期には、親が先回りすることをひどく嫌がる。「魔の2歳児」とかひどい言われようだが、私は少し違う見方をしている。

 子どもは大きくなっても親を驚かせたいのだ。教えられもしないのに立ち、歩くと「立った! 立った!」「歩いた! いま、歩いたよ!」と驚いてくれた、あの感動を味わいたいのだ。なのに「今日はおでかけするんだから、靴下はいて、靴はいて」と先回りすると、親を驚かすことはできない。先回りするということは、親はもっとすごい水準を自分に求めているということが暗に伝わるからだ。

 だから、やり方をちょっと変えてみよう。「こないだはできたけど、今日は難しいかな」という言い方にしてみると、「できるよ」と言って、やってみせてくれる。「おおー! まさか今日もやれるとは! やるじゃん!」と驚くと、嬉しそうにハイタッチ。

「そういえば、最近はお手伝いしなくても自分で着替えてるね。手伝わなくて大丈夫なの?」と聞くと、「もう3さいだもんね」。その返事に「おおー!」と驚くと得意げ。そうなると、3歳だからもう自分で着替えてみせる、という意識が根づく。たまに不安な頼りない気持ちになるときにだけ甘えられるようフォローをすれば、「いや、自分でやるから!」と、自立するようになる。