そうすると意外にも、こちらの指示していないことも補ってくれたりする。「え?ここまでやってくれたんですか?」と素直に驚くと、向こうも「え?この程度で驚いてくれるの? じゃあ今度はもっと驚かせてやろうかな」とまんざらでもない様子。

 でも、まさか、次もやってくれるはずないよね・・・と期待せずにいたら、本当に私を驚かせようと、こちらが考えていた以上にこなしてくれたりする。

「えーっ! 本当にこれだけやったんですか! すごい!」素直に驚くと、とても誇らしそう。しかしこんなに張り切った状態を続けたら、疲れてしまう。

「どうか頑張りすぎないでくださいね。疲れちゃいますから、ほどほどに」と声をかけると、無理のない範囲だが、結構フルパワーでやってくれたりするようになった。「今日中にここまでやるつもりだったけど、できませんでした」と済まなさそうに言うのだけれど、「いやいや、毎日それでは疲れちゃいます。どうか無理なさらないでください」というと、それがまた張り合いになるようだ。

人は“驚かせたい生き物”?

 ここで私は不思議なことに気がついた。相手に対して、これくらいできるはず、これくらいはしてほしいと「期待」すると動いてくれなくなり、「自分のためにそんなに動いてくれるはずがない」「指示の範囲でやってくれるだけで御の字」と、「期待しない」方が、私を驚かそうと頑張ってくれる、ということだ。

 この現象はおそらく、「人間は驚かすのが大好き」ということで説明できるのではないだろうか。

 褒めて育てようとする場合、無言のうちに、「この水準くらいは達成できる人間に育ってほしい」という期待が相手に伝わってしまう。その期待する水準とは、いわば「ノルマ」だ。そのノルマを達成しない限り、上司、あるいは親を驚かすことはできないということを、部下や子どもはすぐ察してしまう。そして人間は誰しも、初心者。初心者ができることなんて、たかが知れている。そうなると、上司や親が期待する水準に達するのは、遠い将来のように感じられて、気が遠くなる。それまで、相手が驚きもしない業務をこなし続けるなんてつまらない、という気持ちになるのだろう。