冒頭でも触れたが、マハティール首相が日本を手本にしたいと決意させたのは、今から約60年前にさかのぼる。

 1961年、家族を伴って、初めて日本にやって来た。当時、政治家と薬局(マハティール氏は医師)の二足のわらじを履いていた同氏は、大阪(当時)の武田薬品工業を訪問するのが目的だった。

 そこで目にした光景が強烈なイメージとなって、のちに自分が首相になったとき、「日本を見習う政策を進めたい」と固く心に誓ったという。

 その光景とは、日本が戦後の傷跡がまだまだ色濃く残る中、まず最初に訪れた大阪で衝撃的な出会いに遭遇したことだった。

 「大阪にも戦後の焼け跡が残っていたが、その中で水田の真ん中に聳え立った松下電器産業の工場を目にして、度肝を抜かれた」

 さらに、1964年の東京オリンピックを前に、インフラ開発事業が進む東京で、日本橋の高架上に、高速道路建設が着々と進んでいた状況を見て、「敗戦しながらも、急ピッチで復興を遂げる日本人の勤勉さと職業倫理観の高さに感銘を受けた」と述懐する。

 しかも、当時の日本はまだまだ豊かではなかったが、日本人の復興への愛国心にも心を打たれたという。

 日本人のリーダーにおいては、ソニーの盛田昭夫氏と松下電器の松下幸之助氏を最も尊敬するという。

 盛田氏の回顧録には戦後いかに日本が国や国民が一丸となって、日本復活のために、汗水流したかが、記されている。

 「食糧も十分でないなか、米と醤油で腹を満たし、日本復興の光を夢見て、日々、勤勉に働く日本の人たちの懸命な姿が記述されていた」(「日本人よ立ち上がれ」マハティール氏著、新潮社)