しかし、2017年の総選挙で極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進した後は、その政治的結末に耐えている。メルケル氏がしたことは正しかったが、繰り返してはならない決断だった。

 今日の危険は、一般庶民が抱える2つの不満がイタリアで1つに融合していることにある。

 生活水準の伸び悩みや緊縮財政に対する強い憤りがある傍らで、地中海を渡ってくる多数の移民に対する怒りが高まっているのだ。

 イタリアの経済的苦境は、通貨ユーロがもたらしたものではない。しかし、通貨の切り下げという昔ながらの逃げ道をユーロがふさいでいることは間違いない。

 イタリアが移民たちの上陸地点になっているという地理的な偶然を重ねて考えれば、反エスタブリッシュメントの動きが極左・極右に傾くことは容易に説明できる。

 ブレグジットで得られた教訓の1つは、政治的な不満が一定水準に達すると、有権者が想定された経済的利益を無視してもよいと考える、というものだ。失う物などもう何もない、と結論づけてしまうのだ。

 この段階になると、エリートを罰することは独自の論理を帯びるようになり、どんな結果がもたらされるかにはほとんど関係なく進められてしまうようになる。

 ユーロから離脱すれば、イタリア人の貯蓄と生活水準には大変な打撃が及ぶだろう。しかし、彼らがそんな計算を無視してしまうほど怒ってしまったら、果たしてイタリアはどうなるだろうか。