開始前年に現地調査中の両国の関係者が飛行機事故で亡くなる悲劇もあったが、この訓練センターを巣立った人材は両国の絆と信頼関係を象徴する存在となった。

 その後、この国が軍政下で諸外国から援助を受けられなくなってからも、日本から学んだ設計や測量、地質調査などの技術を後進に指導し、橋梁の建設を続けたからだ。

 同プロジェクトで育まれた技術者らの情熱と不屈の精神は今なお健在で、タケタ橋の建設事業も、まさにこのセンターで育った人々によって進められた。

 建設省の副大臣から次官、局長に至るまで、皆、日本から直接指導を受けた最後の世代である。当時、プロジェクトのカウンターパートとして彼らを率いていたハン・ゾー氏は、その後、ミャンマー土木学会長を務め、今年1月に建設省の大臣に就任している。

 タケタ橋建設の施工監理にあたった日本工営の笠原慶さんは次のように振り返る。

 「私のような若造が何か言っても、日本の言うことなら、と耳を傾けてくれたのは、ひとえに当時のプロジェクトのおかげ。先人たちに対する彼らの信頼感の大きさをことあるごとに感じては、身の引き締まる思いがした」

複数の地盤に苦慮

 それでも、現場の作業は試練の連続だった。特に、地盤の問題には苦しめられた。

 最大の事件は、着工から1年後の2016年3月に起きた。

 橋脚を支える「杭基礎」を建設するために川底に杭を48本打ち込むはずだった。ところが、巨大な油圧ハンマーで幾度叩こうが、頭部をいずれも水面から20メートルほど突き出したまま、びくともしなくなった。

 川底の上層部に広がる比較的やわらかい地盤には打ち込むことができたが、その下の層の地盤が想定以上に固く、施工業者が準備したハンマーでは歯が立たなかったのだ。

 「地盤が複数あることは、皆、認識していたのだが、例えばレベル50のハンマーが必要だと想定して準備を進めていたら、それ以上に固い地盤があった」と笠原さん。

 それからの日々は、悪夢のようだった。中断している工程の遅れを取り戻すには、早急に新しい機材を調達しなければならない。