もう少し詳しく説明すると、富士ゼロックスは、富士写真フイルム(当時)とゼロックス(厳密には米ゼロックスの関連会社)の合弁会社として1962年に設立された企業で、ゼロックスの事業をアジア太平洋地域において展開している。

 富士ゼロックスの設立以降、日本をはじめとするアジア太平洋地域は富士ゼロックスが、それ以外の地域は米ゼロックス本体が統括するという棲み分けが出来上がっていた。

 形の上では、富士ゼロックスは富士フイルムの傘下だが、外資系企業だったこともあり、富士フイルムとは独立して経営が行われてきた。こうした状況を変えたのが、銀塩写真の消滅という市場の変化である。

 デジカメの普及によって銀塩写真の市場が急速に縮小し、富士フイルムは創業以来の危機的な状況に直面した。ゼロックス側の事情も手伝って、富士フイルムは富士ゼロックスの株式をゼロックスから追加取得することに成功。富士ゼロックスは富士フイルムの子会社となった。

 富士ゼロックスという複写機事業を取り込むことで、時間的猶予を得た富士フイルムは、次々とM&A(合併・買収)を実施し、銀塩写真からの脱却に成功した。今回の買収は、富士ゼロックスだけでなく、米国のゼロックス本体も吸収するというスキームであり、これによってゼロックスの事業はすべて富士フイルムが手に入れる算段だった。

富士フイルム側に圧倒的に有利な内容

 だが、話はスムーズに進まなかった。もっとも大きな問題は、米ゼロックスにおける既存株主と現経営陣の対立である。

 米ゼロックスには、モノ言う株主としても知られる著名投資家カール・アイカーン氏らが出資しており、投資家グループはゼロックスに対し、富士フイルムとの合弁解消や、ゼロックスCEO(最高経営責任者)であるジェイコブソン氏の退任などを求めていた。つまりゼロックスの株主は、経営陣の交代と同社単体での事業再生を望んでいたことになる。