カルメンは早々に闘牛士エスカミーリョのほうに気を寄せてしまうのだが、ホセは一途な思いから逃れられない。その心の痛さは、誰でも一度や二度は覚えのある感覚なのではないだろうか。

 かようにやるせない恋愛をテーマにしたオペラゆえ、聴衆の心を激しく揺さぶる曲に満ちあふれていると思われるかもしれない。確かにさまざまな名曲が全編に散りばめられており、名作オペラの誉れが高い。しかし、中でもこの「セギディーリャ」は格別なのである。ただ、色香たっぷりのカルメンが歌うというだけの魅力ではない。あまりにも目まぐるしく展開する転調が、カルメンの、あるいはその歌を聴いているホセの、大揺れに揺れる心を大胆に描き出しているのである。

ショーソン 「詩曲」

 19世紀後半から20世紀前半にクラシック音楽の世界に大きな変革をもたらしたフランスの作曲家ドビュッシーやラヴェルは、しばしば実際の風景や物を音で描写することを試み、「音絵」とでも呼ぶべき絵画的な音楽の数々を創造した。対して、極めて文学に近しい名前を持つ「詩曲」を金字塔のように残したのは、先に挙げた2人よりも少しだけ早い時代を同じフランスで生きたエルネスト・ショーソン(1855~1899年)である。独奏ヴァイオリンと管弦楽という、協奏曲のような編成で書かれている。

「詩曲」というタイトルが暗示するように、実は背後に物語がある。そもそもは、ロシアの文豪ツルゲーネフの「愛の勝利の歌」という小説に想を得て作ったという。

 小説を読んで驚いたのは、視覚芸術を代表する絵画と聴覚芸術を代表する音楽にそれぞれ人格を付与し、戦わせる内容だったことだ。ツルゲーネフの小説の舞台はイタリアだ。考えてみればこの設定も、美術と音楽のふるさとを象徴している。ローマなど歴史遺産に満ちたイタリア諸都市はまるで美術作品のように造形的だが、ヴィヴァルディやロッシーニなどクラシック音楽の世界でも早くから才能を輩出した地域だったからだ。

 小説では、絵画を描くのが達者な男と音楽を演奏するのが得意な男が一人の美女に恋をし、絵画男が勝つ。絶望した音楽男は東洋への旅に出て数年後に戻ってくる。そしてすでに結婚していた美女と絵画男の家にやってきて、旅先で霊感を得て作ったという曲をヴァイオリンで演奏する。さて、その結末は・・・。ここでは、想像を超えたアヴァンギャルドな展開があったということだけを伝えておこう。

「詩曲」は、旅先から戻った音楽男が演奏した曲と考えて差し支えないだろう。ショーソンが「詩曲」を作曲したのは1896年。エッフェル塔を建てた万国博覧会が89年に開かれるなど、パリには当時日本を含む東洋からのさまざまな文物や芸能が流入し、パリジャンたちはそれらを見聞きする機会があった。この曲にも、クラシック音楽の一般的なルールにはなかった音列の配置や和音の展開によって、随所に異国情緒が散りばめられている。

 さて、ここではあなたがツルゲーネフの小説に登場した美女だとしよう。ぜひ彼女の気持になってこの曲を聴いてみてほしい。