(英フィナンシャル・タイムズ紙 2018年4月30日付)

米各地で教員らがストなどの抗議行動、教育予算削減などに募る不満

米オクラホマ州の州都オクラホマシティーの州議会議事堂で、抗議行動を展開する教員と生徒たち(2018年4月4日撮影)。(c)AFP/J Pat Carter〔AFPBB News

 極端な「認知的不協和」の例がここにある。目下、教員が全米でストを実施している。ケンタッキーからアリゾナまで、何千人もの教育者がこの数年の劇的な公共予算削減に抗議して職場を離れている。

 こうした予算カットの結果、教員は低賃金と過重労働を強いられ、バラバラにならないよう本にダクトテープが張られ、天井の穴から教室に雨が流れ込む状況を招く微々たる予算を補填するためにポケットマネーをつぎ込むことを余儀なくされている。

 その一方で、この1年、税制「改革」(より適切な呼び方をするなら「減税」)を求めてロビー活動を行い、成功を収めた企業経営者らは、政治家は米国の学校が置かれた情けない状況について何か手を打たなければならないと不満をこぼしている。

 筆者がこの数週間に話をした多くの最高経営責任者(CEO)はいみじくも、ストを通して沈黙を貫いていることについてベッツィ・デボス教育長官を批判している。

 経営者は、悪化する米国の教育制度のせいで、国際舞台で競争力を維持するために必要な労働者を会社が見つけることが不可能になっているとこぼす。

 この点については、経営者は正しい。米国はおそらく2020年までの10年間に約1500万人の新規雇用を創出するが、その職の65%は中等後教育と高校卒業後の訓練が必要になる。

 一方、高等教育に進む米国人のうち、6年以内に学位を取得できるのは54%にとどまる。この割合は、学費の増大と、多くの人が学位課程に入る際の習熟度不足の双方を反映している。

 しかし、ここにとてつもなく大きな皮肉がある。企業は減税を望み、教育改革を望んでいる。だが、誰もがあえて口にしない重大な問題を認めようとしない。この2つのものは両立し得ないということだ。