和食で人気の筍、意外と新しかった日本への伝来

美味しいタケノコと悩ましきタケ(前篇)

2018.04.13(Fri) 漆原 次郎
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「タケノコ」には「筍」「竹の子」「笋」などの字が当てられる。「旬」には「上旬、中旬、下旬」と表現されるように「10日」の意味があるが、これに竹かんむりがついて「筍」。つまり「10日もすればタケになる」といった意味が「筍」にはあるという。

 記紀の時代から、日本にはタケやタケノコはあった。神代の物語が書かれた『古事記』には、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が「黄泉の国」の醜女(しこめ)に追われたとき、<右の御美豆良に刺せる湯津津間櫛を引き闕(か)きて投げ捨てたまへば乃ち笋(かたむな)生りき>とある。つまり、右の髪から竹櫛を引き抜いて捨てたところ、土に刺さった櫛からタケノコが生えたというのだ。これを醜女たちが食べている間に伊耶那岐命は逃れられたという。この話でもタケノコの成長の早さが想起される。

江戸中期までに京都または薩摩に渡来

 現在「日本の三大竹」とも呼ばれる種は、モウソウチク(孟宗竹)、真竹(マダケ)、破竹(ハチク)。マダケやハチクは在来種とも外来種ともいわれる。一方、食用タケノコで圧倒的な比率を占めるモウソウチクは、明確に中国原産であり日本には伝来されてきた種といえる。

 そもそも「孟宗竹」という名は中国の人物「孟宗」に由来するもの。孟宗は、孝行に優れた人物たちを称えた「二十四孝」の1人だ。老母が冬の季節にタケノコを食べたいと言ったので、孟宗は竹林に入ったものの、雪の中タケノコは見つからず、天に祈っていたところタケノコが生えてきて、喜び掘って母にすすめることができたという話だ。

芽を出すタケノコ。食べごろは出芽前の土に埋まっているときという。

 江戸時代、モウソウチクは中国大陸から伝わってきた。その由来には2つの説がある。

 1つは京都の乙訓地方(いまの大山崎町、向日市、長岡京市)にちなんだもの。宇治の黄檗山管長が宗教見学で訪れた中国から持ち帰ったモウソウチクを、海印寺の寂照院の主がもらい、1728(享保13)年、寺領内の大見坊に植えたのが始まりとされる。ちなみに、黄檗山を開創した隠元隆琦(1592-1673)は中国・福建生まれの僧で、寺が建立された1661(寛元元)年より前にモウソウチクをもたらしたという話もあるが、真偽は定かではない。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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