千葉県香取市にある伊能忠敬像。彼は人生で2度のリセットを味わった

 あったかもしれない人生――。これまで続いてきた人生を見つめ直し、いったんリセットしたくなるときがある。新しい人生を始めるのは勇気がいるし、不安もある。でも、せっかくなら違った人生を経験するのもいいんじゃないか。

 歴史・時代小説は人生の宝庫だ。厳しい身分制度があり、職業選択の自由も制限されていた江戸時代以前。人が生き方を変えるきっかけは、自分の希望ではなく、社会の変化でやむなくということが多かった。けれどそんな中で、転機をチャンスに変えて人生のリセットに成功した人たちがいる。そんなリセットの先例を、歴史・時代小説の名作を通してぜひ味わっていただきたい。きっとヒントが見つかるはずだ。

吉川永青 誉れの赤

 2017年の大河ドラマ「おんな城主直虎」は、徳川のもとで井伊家を再興した井伊万千代(直政)の配下に〈赤備え〉軍団がつけられ、小牧・長久手の戦いに挑む──というところで最終回を迎えた。甲冑や武具を赤で揃え、その勇猛さで恐れられた家臣団である。幕末の大老・井伊直弼が〈赤鬼〉と呼ばれたのも井伊のイメージカラーが赤だったからだ。

 しかしこの〈赤備え〉は、もともと甲斐の武田家の家臣団だった。武田の中でも特に武勇に秀でたチームで、長篠の合戦とその後の武田攻めで武田家が滅んだ際、〈赤備え〉をそのまま徳川が抱えたのである。〈赤備え〉の武士や足軽たちにとっては、昨日までの敵がいきなり主家になったわけだ。今なら、ライバル会社に吸収合併された社員たち、といったところだろう。

 物語は甲斐で〈赤備え〉の下っ端だった成島勘五郎と飯沼藤太が主人公。徳川に召し抱えられ、これも武士の習いと割り切って徳川で頑張ろうとする勘五郎と、どうしても甲斐が忘れられない藤太を対比させながら、関ヶ原の後までが描かれる。いわば、リセットできた者とできなかった者の物語と言っていいだろう。

 けれど上手にリセットできたかに見える勘五郎も、実は試行錯誤の連続だ。決してすんなり武田家時代を忘れられたわけではない。ではどのように、彼は徳川の中で身を立てていったのか。この過程は実にエキサイティングだ。一方、どうしても新しい上司のやり方に馴染めなかった藤太は、まったく別の方法でのリセットを考える。こちらも波乱万丈で、まったく飽きさせない。しかもこのふたり、運命のいたずらで思わぬ〈再会〉を果たすことになる。

 どちらが正しいわけでも、間違っているわけでもない。生きるため、自分が納得する人生を送るための、それぞれの決断をじっくり味わっていただきたい。