現在、自民党には、7つの派閥がある。所属議員が多い順に、細田派、麻生派、竹下派、岸田派、二階派、石破派、石原派となる。

 ただ「55年体制」時代と違って、派閥の存在感は相当低下している。この7派閥の中で領袖の顔がすぐに浮かぶのは、麻生太郎氏、二階俊博氏、石破茂氏ぐらいではないか。岸田文雄氏や石原伸晃氏も、大臣経験も長く、それなりの著名政治家であることは間違いないが、前の3人と比較すると存在感は乏しいと言わざるを得ない。

変わる派閥の機能

 かつての派閥は、政策や主義・主張などの共通項もあるにはあったが、それ以上に大きな役割が2つあった。

 1つは、何よりも自らの当選を確実にするためであった。中選挙区制の場合には、1選挙区の定数が概ね3~5であった。政権政党であった自民党が過半数の議席を確保するためには、同一選挙区に2人から3人立候補させ、当選を勝ち取らなければならない。当然、自民党の候補者同士が激しく競うことになる。この激烈な戦いを勝ち抜くためには、資金、票のいずれでも派閥の支援が不可欠であった。

 もう1つは、これが最大の派閥の存在意義になるのだが、派閥の領袖が自民党総裁となり、内閣総理大臣の椅子に座るためである。そのためには、自派閥の議員数を増やさなければならない。数こそが力の源泉なのである。このことを最もあからさまに実行したのが、田中角栄であった。ロッキード事件で逮捕された角栄は、「数は力なり」ということで最盛期には約140人もの国会議員が抱えていた。マスコミからは、「田中軍団」とか「闇将軍」と呼ばれたが、角栄自身は無罪判決を得たうえでの復権(再び首相に返り咲くこと)を目指していたと言われている。