ベートーヴェン 交響曲第9番
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 まず感じるのは、この楽章は世の中すべての楽曲の中でも「美の極み」という表現をするのにふさわしいことだ。最初にソロで登場するのは、ふだんはどちらかといえばオーケストラを下支えすることが多いファゴットという木管楽器である。朴訥とした、そして丸みを感じさせるこの楽器のやさしい響きに、ベートーヴェンは世にも美しいこの楽章の「いざない」の部分を託したのである。ここをほかの楽器に演奏させていたなら、曲全体の印象もずいぶん変わっていたのではないかと思う。

 やがて、躍動感に満ちた流麗な旋律が始まる中間部に入ると、おそらく多くの人が天国に連れて行かれたような気持ちになるだろう。そして、第4楽章とは別の、喜びの叫びとでも形容したくなるような高揚の瞬間が訪れる。美に囲まれた幸福を感じさせてくれる名曲である。

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番第4楽章

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番
ルドルフ・バルシャイ指揮
WDR交響楽団

 旧ソ連において、内心は体制に反抗しながらも仕事では迎合したように見せるなどしてしたたかに生き抜いたことで知られるショスタコーヴィチは、交響曲第9番を書いた後、死なないためにある方策を施したと見られる。「第九」を思いっきり軽妙な内容にしたのである。そのおかげかどうかは定かではないが、全部で15もの交響曲を残している。しかし、ここで取り上げる第15番は、結局のところ最後の交響曲である。だからなのか、特に終楽章(第4楽章)が天に昇る美しさを表現している。

 ショスタコーヴィチは、ほかの作曲家が書いた旋律などを引用して自分の曲にしばしば組み込んでいる。この曲の第1楽章では有名なロッシーニの「ウイリアム・テル」序曲のトランペットのテーマがほぼそのまま引用されており、心地よいミスマッチを感じる。

 そして4楽章の冒頭では、なんとワーグナーが「神々の黄昏」という長大なオペラの一部を、はっきり分かるように引用している。そこにも天に昇る予感のようなものがあったと考えてもいいのではないだろうか。少なくとも筆者にはこじつけとは思えない。その後弦楽器による主部が始まると、それはもう透明で美しい世界の中をたゆたわせてくれるのである。「いつまでもこの中に身を浸しておきたい。終わるのが惜しい」とさえ思わせる。

 ショスタコーヴィチは、この交響曲を書く約10年前、共産党への入党を強制されたといい、そのときには自分へのレクイエムのような気持ちで弦楽四重奏曲(第8番)を書いている。晩年に書いた交響曲第15番の終楽章には、苦しかった人生を生き延びさせてくれた神への感謝の気持ちが込められていると、改めて思うのである。ぜひ、人生のリスタートを考えたときに聴いていただいきたい1曲である。

◎続き(残りの5曲)はこちら
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52500