その結果、21世紀第1ディケード前半、グーグルがグーグルマップやグーグルアースに乗り出してデファクトスタンダードを奪取しました。

 日本は、ツイッターやフェイスブックなど自然言語処理技術の上にデジタル小社会を作り出すSNSビジネス=顧客の「社会の窓」の組織化などに完全に乗り遅れ、と言うより最初からそうしたバスの方向性を持たず、何のビジネスもマーケットも獲得できなかった。

 一言で言えば「顧客中心思考」が欠如していた。私自身の失敗として強くこれを感じます。

 1999年、私が初めて慶應義塾大学に呼んでいただき、音楽のコマを持ったときには「音楽と言うより情報処理」などと学生に揶揄されました。

 しかし、フリーのウエブサイトをネットワーク化して「電子大学」化して運営し、4か月後に東大に呼ばれてからは、最初は学生の発意で「Perl」による域内検索エンジンを設け、翌年にはそれを「Ruby」で全面的に書き直しました。

 現在の「Python」での機械学習に点と線でつながる、インテリジェントなP2Pサイバー大学システムの構築、といったことを、それなりに一生懸命取り組んでいたわけです。

 でも、それを、一般市場の顧客に対してビジネス展開する発想に、少なくとも大学の中では全く近づけようとはしなかった。

 もっとハッキリ記すなら、大学でのプロジェクトはことさら公共事業の諸ルールを遵守して、大過なく粛々と進めるのが一番安全、というのが30代半ばの助教授として、東大内で学習した現実でした。

 土台、ものごとの作りが違ので無理なことですが、グーグル創始者の若者たちが苦労して獲得した1000万円から大きくチャレンジに乗り出したのとは雲泥の差があります。

 始めた時期はほとんど変わらないけれど、日本の高等学術の公的事業で何億円もの金額を投入して、システムとしてはほとんど同系統のものを作りながら、それが顧客という観点を持たず社会浸透の方策を一切欠いたことで、5年後には大きな差が開いていたのは間違いありません。