日本が太陽暦に転換したのは1873年(明治6年)1月1日からである。西欧諸国で採用されているグレゴリオ暦を導入し、導入日を明治6年1月1日とし、それまで使用していた太陰太陽暦の「天保暦」を廃止した。

 明治維新後に「文明開化」のスローガンのもと「近代化」を促進した日本は、キャッチアップ対象の西欧文明にカタチから入っていったのである。「攘夷」から「開国」に180度転換した変わり身の早い日本人であるが、暦の転換は「革命」としかいいようのない激変であった。 「十二支」は現在なお生きているとはいえ、「近代化」のモデルを西欧文明に切り替えたことで、「中国文明からの独立」が完成したことになる。

 もちろん、国家権力が有無を言わさず強制したことであり、「メートル法採用」と同様に、日本人の生活に強いた犠牲は少なからぬものがあった。典型的な例が「和時計」である。国立科学博物館に展示されている江戸時代の「和時計」を見ると、まったくもって「ガラパゴス」だなあと思ってしまう。当時の日本人が、創意工夫を重ねて創り出した精緻を極めた傑作だったが、独自の進化がアダとなり太陽暦採用以降は無用の長物と化してしまったからだ。

 一方、中国で太陽暦のグレゴリオ暦が採用されたのは、日本より約40年遅く、「辛亥革命」後の1911年のことだ。中国は日本と異なり太陽暦に慣れることがなかった。革命後も国内で混乱が続いただけでなく、農民を中心とした一般民衆は農事暦である太陰太陽暦を使用し続けてきたのである。その結果、現在に至るまで「春節」が行われている。

 だからこそ、年中行事まですべて太陽暦に移行してしまった日本はきわめて特異な存在だといえる。中華文明圏である東アジアだけでなく、世界的にみても特異であると言わざるを得ない。