安保法案、衆院特別委で可決 自衛隊の役割拡大定める

衆議院平和安全法制特別委員会で、自民党の浜田靖一委員長(右から2人目)を取り囲んで安全保障関連法案の採決に抗議する野党議員ら(2015年7月15日撮影)。(c)AFP/Yoshikazu TSUNO〔AFPBB News

 通常国会の開幕を前に進められていた、希望の党と民進党の統一会派の話し合いは不調に終わった。安保法制や憲法をめぐって希望の党が譲歩したが、土壇場で民進党から異論が噴出して白紙撤回された。民進党がいまだに「安保法制は違憲だ」という公式見解を守っているからだ。

 昨年(2017年)、希望の党が民進党を吸収合併したのも安保や憲法をめぐる民進党内の対立が原因だったが、希望の党の中にも「安保法制は違憲だ」というグループができた。絶対少数の野党がどんな方針をとろうが、すでに成立した安保法制を変えることはできないのに、なぜこんなゴタゴタがいつまでも続くのだろうか。

「立憲主義」という偽の争点

 民進党では社会党からの流れをくむ左派が「護憲」を唱える一方、民主党政権で日米同盟の現実を知った右派は、憲法や安全保障について柔軟な方針をとろうとしていた。ところが2015年の「安保国会」で流れが変わった。

 このとき自民党の失態で憲法審査会の参考人が全員、安保法制を違憲としたため、「立憲主義を守れ」というデモが始まり、国会でも「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ」という奇妙な論理で、野党がまとまってしまった。

 これは偽の争点である。憲法に個別的自衛権と集団的自衛権の区別はなく、日米安保条約は前文で「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有している」ことを確認している。「集団的自衛権は保持するが行使できない」とした1972年の政府見解は政治的な妥協の産物で、日本語としても成り立たない。

 こんな無意味な解釈論が、いつまでも与野党の(そして野党内の)対立の原因になるのはなぜだろうか。1つの答は、憲法9条に絶対的な価値を見出す「固定客」がいることだが、もう1つの答は野党に憲法以外の結集軸がないことだ。

 経済政策では安倍政権は財政拡大と金融緩和を進める「大きな政府」で、世界的にみると社会民主主義に近い。教育無償化も消費税の増税延期も、野党の反対できないバラマキ福祉だ。安保・憲法で歩み寄ると、野党には独自の政策が何もない。立憲主義を捨てると、野党には存在意義がなくなるのだ。