しかし、皇族になれば立場は全く逆だ。自らの嗜好やムードで、国民や相手国の賓客に接することは控えるべきで、まして皇后という立場になれば当然だ。

 子育てもそうだ。そういった意味で、雅子妃と皇室には、日本人でありながら歴然とした異文化の障壁が今も立ちはだかっている。

 欧州の王室の中でも、英国王室は自立自営だが、日本の皇室費用は宮内庁の予算で賄われ、国民の税金。

 今後、天皇・皇后は退位するものの新たに上皇・上皇后として即位し、さらに秋篠宮は皇太子には就任せず、皇嗣として活動されることになっている。大幅に拡大する皇室予算を税金でどこまで捻出するか、大きな議論となるのは必至だ。

 皇太子も夫として雅子妃の良き理解者になるのは当然だが、今後は、天皇として雅子妃が、国民の理解を得られ、愛されるように皇后としての品格、見識ある道に、導かれることが望ましいのではないか。皇后になれば、「おひとり外交」も増え、洗練された皇室外交を磨かれるのも、そうだ。

 2013年のオランダ国王即位式では、日本のメディアこそ他の王族と比較し絶賛していたものの、全身を覆い、ピルボックス(縁なしの円形帽)をかぶった雅子妃は、1950年代の「尼僧のよう」と酷評され、「日本の伝統という籠に閉じ込められた可愛そうなミステリアスなプリンセス」と同情を誘った。

 アジアにない世界に誇れる日本の皇室であるよう、新天皇となる皇太子が課された皇室の将来と責務を果たすことは、雅子妃のためにもなるし、夫婦愛でもある。

 そして、それは、ひいては、国民への愛を示した皇室の姿でもあるのではないか――。