実際に分布として期待値などが示されれば、それに即して公共投資などの配分も賢明にできるはずです。少なくとも資産のリスク分散で考えれば当然のことでしょう。

 公共事業が投げ銭的だったり、コストパフォーマンスを考えなかったりする古代的な発想ならまだしも、「大吉」「凶」といった一方的なご託宣が2020年代以降にまじめに通用するとは到底思えません。

 逆に、風物詩としてのおみくじは、100年経っても別に変える必要はなく、大吉が出ても大凶が出ても、「ははん、そんなものかな」と木の枝にでも結びつけて、忘れてしまうのが賢明というものでしょう。

 思考停止のためにご託宣に頼る、といった意思決定は、「何にせよ褒められたものではない」。これだけは間違いなく言えると思います。

 必要な情報が不足して判断に困るとき、人は「困ったときの神頼み」をしたくなる。これ、単に退嬰に過ぎません。

 賢明な地頭が活用できるなら、いま不足している情報をどのように集めたら、より確かな意思決定ができるかを、弛むことなく検討し続けるのが、本来のあり方、私たちの主体性という特権だと思います。

 逆に言えば、例えば入試で答えが分からず、鉛筆を転がし始めたら「桜散る、残念」への階段に一直線ということになってしまう。

 こういう神頼みは、やめておいた方がいいでしょう(苦笑)。