大学受験に落ちて、仙台にある予備校に通っていた頃のこと。もう20年以上も前の話だ。

 地元にある予備校は評判がいまいちで、その年の不合格が確定した日の夜に、東北の主要都市である仙台の大手予備校に通いたいと両親の前で土下座した。部活にあけくれた高校時代には、勉強をした記憶がほとんどなく、テストではよく赤点を取っていた。それでも大学には通いたかった。何かがしたかったわけではない。むしろ何もしたくなかったからだ。

 ただ、何もしない時間を手にするためには、受験という障壁があった。英語の5文型すらあやふやだったから、その壁は高くそびえたっていた。予備校への「進学」を高校の担任に伝えに行くと、心を入れ替えて勉強に没頭しなければ合格は難しいだろうという。虫けらを見るような蔑みの目を向けられたように感じた。

 半分はその言葉に奮起して、もう半分は両親への申し訳なさから、仙台の長町にある予備校の寮に入り、生まれて初めて根を詰めて勉強をした。春先に行われた模試で予備校内のトップを取って、「オレはやればできるのだ」とさらなる時間を費やして机に向かった。だが、なにせ勉強し慣れていないものだから、ペースが分からずに飛ばしすぎ、精神的な不安定さも手伝ってある時、不整脈を発症した。それを知ったおふくろが郷里から飛んできたが、医者に見せるときに限って脈は平常運転に終始し、「原因はストレス」の一言で片づけられた。

異様な存在感を放つ“それ”

 そのこともあり、無理は体に毒だからと、レースの序盤からしごいていた手綱を緩めると、後続の追い上げにあって成績は緩やかな下降線を辿った。そうなるといい意味での緊張は持続しない。勉強以外のことに興味が向くのに時間はかからなかった。寮と予備校との往復だった生活から、活動範囲を少しずつ広げ、周辺をひとり自転車で散策し始める。そして僕はほどなくして、それを発見した。寮のすぐ近くの、ガード下の脇で異様な存在感を放っていた、それ。

「長町デラックス劇場」