川井:鳥井さんがそうであったように、医師や看護師など医療に関わる仕事に就いている人の中には、病気によって辛い思いをした人、病気に対する個人的なパッションを持った人が多いように思います。私の場合も、やはりそのような経験がありました。以前は、それについて話をすることなど決してありませんでしたが、時がたって少しずつ人に話すこともできるようになりました。

 私には、医者とは何かを考える前に、「病気で足を失う人をなくしたい」「肉腫で苦しむ家族をなくしたい」という強い想いがありました。

 実は、私が中学2年生の時に妹が骨肉腫と診断されました。妹は小学校5年生で、クラスで一番スポーツができて、級長にも選ばれるような自慢の妹でした。それがある時、「膝が痛い」と言いだして歩くこともできなくなりました。「成長痛だろう」と軽い気持ちで近くの医院を受診したら、すぐに大学病院を紹介されて、がんが大腿骨(ふとももの骨)にあることがわかりました。

 切断しか治療法はないと告げられ、骨肉腫の診断の2週間後には手術を受けました。手術室から帰ってくる妹のストレッチャーに、足一本分のふくらみしかないのを見た時のショックは今でも忘れません。しかし、手術の2カ月後には再発が見つかり、再度、股関節から切断する手術を受けることになりました。2度の手術の後、約1年間の抗がん剤治療を受けました。今のように良い吐き気止めがなかった時代でしたから、何度も何度も吐いて、それは本当に苦しそうでした。でも、そんなときでも、毎日見舞いに行く私の帰り道を心配したり、同じ病気の友達のために千羽鶴を折ったり、妹は本当にけなげでした。

 今だからわかることですが、ちょうどその頃、骨肉腫の治療に強力な化学療法が導入されて、世界的にその治療成績*が劇的に良くなった時期でした。妹がもしあと2〜3年はやく病気になっていたら、命は助からなかったと思います。反対に、あと10年おそく病気になっていたら、足を切らずにすんだかもしれません。妹が足を失うことがわかった時、親父が泣く姿を初めて見ました。

*:治療を行った結果、病気が良くなったかどうか。

鳥井:私の告知の時も母が診察室で泣いていて、家に帰ったら父も泣いていました。その時に初めて父の涙を見ました。