――死刑や追放刑もありましたが、一方でこのような更生を考えた刑罰を取り入れたんですね。

高塩 そうですね。ちなみに吉宗の孫であり、老中を務めた松平定信は、こういった考えを引き継いで、人足寄場(にんそくよせば)という収容所を設けます。これは無宿や、刑罰を終えた罪人が社会復帰できるよう、教育的な処遇を施す施設でした。

 当時、盗みの罪などで、敲や入墨の刑を受けた無宿が、この人足寄場に収容されました。これは吉宗が亡くなった後の話ですが、そういった形で「更生」の思いは受け継がれていくのです。

 この「人足寄場」については、また別の回できちんとお話しすることにしますが、いずれにせよ、吉宗は「敲」や「入墨」といった刑罰によって、犯罪者の更生に力を入れていきました。

――そうだったんですね。ちなみに、「敲」という刑罰が江戸時代に存在していたことは知っていましたが、それが更生と深く関わっているのは意外でした。

高塩 実はこの「敲」こそ、吉宗の更生に対する思いが強く現れた刑罰といえます。現代では“野蛮な刑罰”というイメージが強すぎるのかもしれません。しかし、当時の時代背景を照らし合わせると、「敲」の本当の姿と、そこに込められた心遣いが見えてきます。

「敲」という刑罰と、更生との関係については、次回詳しくお話ししましょう。