「心で歌え!」

 いいんですよ。それは必要なことです。でも、フレーズやアーティキュレーション、ソルフェージュといった観点に斉藤先生はメソッドを持っておられなかった。そしてそのことを一番よく理解しているのは、ほかならぬ斉藤先生ご自身だった。

 そこで、斉藤先生は、そうしたことに透徹した方法を持つ音楽家を桐朋に招聘しました。

 白羽の矢が立ったのは三善晃(1933-2013)さんで、東大仏文の学生としてパリに遊学、音楽院は1日通っただけで嫌になってしまい、気ままなフランス生活を切り上げて25歳で帰国します。

 後々日本の音楽アカデミアの最右翼のごとく見なされてしまった三善さんですが、実は徹底して独学自習の人で、ゼロから彼自身で積み上げたメソッドで、日本の音楽の世代を1つ先に進められた。大変な傑物と思います。

 東大仏文を出ただけ、パリは音楽院に1日通っただけの三善さんが東京芸術大学や桐朋に講師として着任、ゼロから自分で考えて音楽の基礎を作ったのは、師である池内友次郎氏の力が絶大でした。

 池内友次郎は高浜清=俳人「虚子」の次男で、20世紀フランス由来の音楽を日本に定着させた最大貢献者の1人ですが、矢代秋雄、三善晃といった門下の俊才同士を競わせて、水準を高めさせるのです。

 私自身もこの<楽風>で教育され、エライ目に遭いました・・・。

 ともあれ三善さんが責任を持つようになってたった数年で桐朋学園は「ソルフェージュの桐朋」として鳴り響く名門となりました。