わが国においては、同じような状況が過去にも起こったことがあり、当時、「非核五原則」と言われた現象である。

 2006年10月、北朝鮮は、「日朝平和宣言」(2002年9月)や「六者会合に関する共同声明」(2005年9月)ならびに国際社会の度重なる自制要求を無視して核実験を強行した。

 またこれに先立ち、日本に届くミサイルを保有する北朝鮮は、1998年に引き続き、2006年7月、テポドン2号を含む7発のミサイルを日本海に向けて発射した。

 それらの核実験とミサイル発射が、身近に迫る死活的な脅威として多くの日本人を震撼させ、有形無形の反応を惹起する「引き金」になった。

 それを機会に、わが国においても核政策について活発に議論しようとする動きが出てきた。その政治的イニシアティブを発揮した代表格が、当時の麻生太郎外務大臣と自民党の中川昭一政調会長(故人)であった。

 これまでのわが国の政治や言論界の状況から見れば、その勇気や戦略性は大いに評価されてしかるべきであった。

 ところが、すぐさまマスコミを含めた旧来の平和主義勢力が頭をもたげ、あるいは親中派などの意図的な発言によってこの動きを封じ込めようとする反作用が強まった。

 当時、約8割の国民は核論議を支持していたが、核兵器を①持たず、②作らず、③持ち込ませずの「非核三原則」に加えて、核兵器について④言わず、⑤考えずの「非核五原則」と言われた言論封じや思考停止に向けて世論を誘導し、執拗に核論議を封印しようと試みたのであった。

 今また、北朝鮮の核ミサイルの脅威について、広く国民の間に共有されつつあるが、活発で現実的な核論議を展開する状況はなかなか生まれてこない。

 すでに北朝鮮は、日本列島を十分に射程圏内に収め、日本や韓国防衛に協力する米領グアムの米軍基地まで届く多種大量の弾道ミサイルを保有しており、わが国の防衛は直接的・間接的な脅威に曝され、その緊迫度は日々増大している。