しかし興味深いことに、スウェーデンや戦後日本は、その問題を比較的うまくクリアしてきた。日本では戦後、経済が成長する一方でいろんな企業が倒産した。その際、スウェーデンとやり方は違うが、「雇用は維持するけども企業は競争社会」という、資本主義と社会主義をない交ぜにした形態をとった。

 その結果、日本の場合、倒産してもどこかに再就職はできるのだが、収入や福利厚生で目減りした。だから労働者は愛する職場を失うまい、企業を倒産させるものかと働いた。スウェーデンもいずれ働く場所が見つかるとはいえ、慣れ親しんだ職場を失うのは悲しい。だから知恵を絞り、会社の売り上げを伸ばそうとする。

 労働者の雇用は維持しようとするが、労働条件をそのまま維持するわけではない(日本)。働く人の生活を最低限守るが、企業を守るとは限らない(スウェーデン)。

 スウェーデンは、国が十分な福利厚生を提供する形をとってきた。一方の日本は、あくまで企業にその責任を求めたので、企業が倒産したときの労働者へのショックは著しいものがあったが、全体のメカニズムとしてはスウェーデンに通ずるものがあったのかもしれない。だからバブルを迎えるまでの日本は、資本主義国でありながら、「世界で最も成功した社会主義国」と呼ばれたのだろう。しかし、バブル崩壊後の日本は、その方式を打ち捨ててしまった。

※スウェーデンと日本が世界のなかでも飛び抜けて格差が小さいことについては、TEDのプレゼン、リチャード・ウィルキンソン「いかに経済格差が社会に支障をきたすか」をご覧になるといい(https://www.ted.com/talks/richard_wilkinson?language=ja)。

 資本主義だが、雇用を維持しようとする。この微妙なさじ加減が、国の経済を活性化しながら雇用を維持するのに重要なのではないか。資本主義も共産主義も、原理主義的に突っ走り過ぎると歪みが大きい。人間は、イデオロギーや思想に合わせて形を変える粘土のような器用さはないのだ。経済はあくまで、さまざまな矛盾を抱えた人間に合わせて設計していく必要がある。

 イデオロギーに合わせて社会を設計するのではなく、どこまでも人間という天邪鬼(あまのじゃく)な生き物をとことん研究して設計していく。天邪鬼な人間が楽しく生き生きと働き、生きていける仕組みを作る。そんな人間工学的な社会が望ましいのかもしれない。