高知県土佐町の早明浦(さめうら)ダム。吉野川の治水と四国地方全域の利水を目的に建設された

日本は、新しいものを創るのが苦手だと言われている。それは、ルールを守ることに長け、ルールを作ることに慣れていないからだ。しかし、日本を変えていくのは「新しいゲームやルールを創る」ことができる人々だ。彼らは何を考え、どのように動いているのか?

 人口減少が止まらない高知県。2015年の国勢調査によると、5年間で4.7%人口が減ってしまった。移住を促進したり、県外企業を誘致するなどし、様々な手を打っているが、その効果はまだ目に見えていないようだ。

アイビーリーグから、限界集落予備軍へ

 その高知県の北部、四国山脈に連なる嶺北地域に位置する、人口4000人規模の土佐町に、アメリカのニューヨーク州からあえて移住してきた日本人男性がいる。Uターンではない。縁もゆかりもなかった過疎化の進む町を選び、アメリカから引っ越してきたのだ。

 瀬戸昌宣(せと・まさのり)さんは、1980年東京生まれ。農学博士(昆虫学)だ。2016年、高知県土佐郡土佐町にやってくるまでは、コーネル大学ニューヨーク州立農業試験場で博士研究員として研究と教育に従事していた。

 コーネル大学は、アイビーリーグと称されるアメリカ東海岸の名門校の1つで、特に理系分野においては世界トップの人材が集まり日々切磋琢磨しているという。そもそもそんな場所にたどり着くまでには、どんな選択を積み重ねていったのか。

“NO!”と言われても、計画を立てて実行

「なぜ自分がコーネル大学に行ったのかを振り返ってみると、端緒は高校時代の部活にあると思います。バスケットボール部だったのですが、進学校なので生徒の両親が部活に理解を示してくれないんですよ。自分の家も、部活なんてやめて勉強しろと言われていました。だから、勉強と部活を両立できるプランを両親にプレゼンし、実際にプランを実行し、無事に引退まで部活を続けることができました。そのとき、“NO!”と言われても、部活でも、監督に様々な提案をして、よく怒られました(笑)。それでも、提案はし続け、取り入れていただいたものもたくさんあります。今では監督と教育の話をする関係も作れています。反論できる余地を探したり、代替案を考えたりと、新たな企画を考え、提案し、実行すれば“できる”ということを知ったんです。自分次第で選択肢は増やせる、ということですよね」