そんな中、追い打ちをかけたのが、2015年6月16日、ドナルド・トランプ氏が米国大統領選に出馬したことだった。

「今まで一緒に研究をしてきた人たちの中で、人種や性別などで、こうだと決めつける人たちが増えて、僕や家族への対応も徐々に変わってきたんです。もちろん全員ではないのですが、公的機関の対応などにも変化があり、やはり選択肢を増やすのが困難な状況が生まれたのは事実です」

 アカデミックな世界に身を置いて「リベラル」を任じている人たちであっても、リーマン・ショック以降、研究が息苦しくなった環境のなかで、トランプ氏の歯に衣きせぬ差別的な発言に反応してしまったのだろう。

 中国系の同僚に「マサ、最近つまんなさそうだね」と言われたのをきっかけに、研究所を辞める決意をした。

「彼の言うとおりでした。渡米して10年、何でも楽しんでやってこられたのに。こんなにつまらなさそうにしている姿を子供には見せたくない。では、いまワクワクするほどやりたいことはなんだろうと考えたのです。そのとき、見えたのが“教育”でした」

“教育の本質”=エデュケーションへ

 それにしても、優秀な日本人は海外に出て行くというが、リーマン・ショックやトランプ出馬をきっかけに戻ってくるという話は興味深い。実は、今回のような取材を通じてこうして日本に戻ってきた人たちによく出会う。

 瀬戸さんはもともと、コーネル大学でも教育と研究を行ってきた。教育にフォーカスをしていくなかで、「教育とはなんなのか」という自問が生まれる。そもそも、教育という言葉は「エデュケーション(education)」の訳語として生まれた。エデュケーションは元来、「人の能力・才能を導き出す」という意味がある。教育という言葉を作った初代文部大臣 森有礼の「国の理念に沿って教え育む」という解釈とはベクトルが真逆だ。

「例えば僕がアメリカの教育で面白いなと思ったのは、読書プログラムなんです。日本とまるで違う。日本は本を提示し、感想文を書かせますよね? そして期待された感想文が書けないといけない。でも、アメリカはいろいろな本を、とにかく大量に提供し、かつ、読まなくてもいいんです。多くの選択肢を与え、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、その子の興味に引っかかるのを待つ。そしてそれを取っ掛かりとして、能力を引き出していく。つまり、多くの選択肢(本)の中から、自ら選ぶんですね。また、読まないという選択をしたということで、その行為も最大限尊重するんですね。それができる場が重要なんだな、と」

 瀬戸さんは、日本とアメリカの対比をした時に、日本の教育は子供たちに選択肢のみならず、選択をする機会を与えているようで、実は与えていないのではないかと考えた。それぞれの子供たちに仕立てられた教育「テーラードエデュケーション(tailored education)」の必要性を感じた。