(英エコノミスト誌 2017年7月15日号)

劉暁波氏死去、61歳 中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞

中国・北京で行われた劉暁波氏へのインタビュー映像の一場面(2008年12月6日撮影、資料写真)。(c)AFP/James. H via FactWire News Agency〔AFPBB News

自らを「最後の審判を生き延びた人間」と呼んだ人権活動家が7月13日、61歳で死去した。

「私には敵はいない、また憎しみもない」。劉暁波氏は2009年、国家転覆を企てた容疑で裁判にかけられた際、北京の法廷でそう述べた。さらに、憎しみは「人の智慧と良知を腐食させる」とも語った。

 中国政府を嫌悪する理由には事欠かなかった。何しろ、中国に民主主義を導入してほしいと請願し、賛同の署名を集めようとしただけで投獄されようとしていたのだから。

 しかし、劉氏が示した寛大さに共産党が応えることはなかった。この1年後に、ノーベル委員会が劉氏を中国における人権運動の「最も重要な象徴」に選び、ノーベル平和賞を授与した際、政府は授賞式に出席することを許可しなかった。

 劉氏は政府を敵に回しただけでなく、自分と同じ知識人や活動家にも牙をむき、辛辣、乱暴、そしてしばしば下品な表現で弱点を暴いては怒りを買った。

 中国哲学と西洋哲学に精通した作家・教師として、1980年代から、中国の退屈な文化的コンセンサスを休むことなく批判した。自分はニーチェ主義者の一匹狼であり、ニヒリストであり、反逆者ですらある、群集の中では目立つ存在で、口ごもりながらも叫んでいるが、そういう自分自身や自分によく似た人々にも居場所があってしかるべき、だと考えていた。

 1989年に民主化運動が中国全土に広がったときには、事態を傍観している人々を軽蔑した。当時、コロンビア大学客員研究員として米国にいた劉氏は、いても立ってもいられなくなり、予定を切り上げて帰国して運動に加わった。そうすることが自らの道徳的な義務だと考えた。抗議行動のために天安門広場に集まった学生たちを、君たちには民主主義が欠けていると叱責したこともそうだった。