トランプ氏、ハッキング問題でロシアと「協働」表明

ドイツ・ハンブルクで開催されたG20首脳会議に合わせ会談し、握手する米国のドナルド・トランプ大統領(右)とロシアのウラジーミル・プーチン大統領(2017年7月7日撮影)。(c)AFP/SAUL LOEB〔AFPBB News

プロローグ/ロシアにとり2017年とは

 ロシアにとり2017年は、「帝政ロシアによるアラスカの対米売却」から150年目、「2月革命」と「10月革命」から100年目、「キューバ危機」から55年目の節目の年になります。

 帝政ロシアの皇帝アレクサンドル2世は1867年、アラスカを720万ドルで米国に売却。一方、ロシア連邦のV.プーチン大統領は「買う用意はいくらでもあるが、(領土を)売り渡すことは一切ない」と明言しました。

 クリミア戦争(1853~1856年)の賠償金支払いで財政が困窮した帝政ロシアのアレクサンドル2世は1867年3月30日、アラスカを二束三文(720万ドル)で米国に売却。この日、露米間でアラスカ売買契約が調印され、同年10月18日に実際の所有権が移転しました。

 米国では現在、10月18日を「アラスカ・デイ」として祝っています。今年はアラスカ購入150周年ですから、現地ではさぞかし大々的に記念式典を開催することでしょう。

 売買交渉を推進した米スワード国務長官は国内では「氷山買いの銭失い」と揶揄されましたが、1899年にはアラスカ州ノームで金鉱が発見されゴールド・ラッシュとなり、その後、石油・ガスも発見され、氷の山が宝の山に華麗なる変身を遂げた次第です。

 歴史に“もしも”は禁句ですが、もしもクリミア戦争なかりせば、帝政ロシアによるアラスカの対米売却もなく、帝政ロシアの崩壊もなかったのかもしれません。

 2017年はロシアの「2月革命」と「10月革命」から100年目の節目の年になります。以前はよく、「11月7日にロシア革命を祝うのに、なぜ10月革命と呼ばれているのか?」という質問を受けたものですが、最近はこのような質問を受けることもなくなりました。

 質問が出ない理由は簡単です。2005年に「革命記念日」の祝日は廃止されたからです。旧ソ連邦時代、新暦の11月7日(旧暦では10月25日)の「革命記念日」には軍事パレードも行われていましたが、今では5月9日の対独戦勝記念日にその席を譲りました。

 1962年10月には「キューバ危機」が発生。キューバにミサイルを搬入しようとしたソ連輸送船を米海軍と空軍が補足し、攻撃準備。

 世界は第3次世界大戦の瀬戸際に立たされましたが、ソ連邦のN.フリシチョフ首相と米国の若きJ.F.ケネディー大統領の瀬戸際外交は結局、米国の勝利で終わり、ソ連輸送船は反転して本国に引き返しました。