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中国外務省、劉暁波氏へのノーベル平和賞授与は「冒とく」

劉暁波氏の死去を受け、中国・香港の中央政府駐香港連絡弁公室に設けられた記帳台に書き込む人(2017年7月13日撮影)。(c)AFP/Isaac Lawrence〔AFPBB News

(文:野嶋 剛)

 中国の民主活動家、劉暁波氏が7月13日亡くなった。末期の肝臓ガンが全身に転移した末の多臓器不全が原因で、享年61。病死ではあるものの、自ら述べているように「文字(もんじ)の獄」(中国の歴代王朝で、王朝批判の言論や出版を弾圧してきたこと)による非業の死であった。

 死去の情報が流れたのが13日夜。その途端、中国のSNSアプリ『微信(ウィーチャット)』の「朋友圏(モーメンツ=フェイスブックのタイムラインに相当)」には、ロウソクや献花の写真が続々と流れた。劉氏の写真や過去の発言を投稿する者もいたが、一部は削除されていた。中国版『ツイッター』ではしばらく前から「劉暁波」の名前を打ち込んでも検索できないようになっている。

国家の建前に固執した中国

 劉氏の病状が発覚したのは6月26日だった。それから半月ほど、中国当局が「自分たちはちゃんと治療している」とアピールするための情報操作を試みれば試みるほど、その姑息な本音が見透かされ、裏目に出た形になって批判の声が世界に広がり、中国の国際的な名声は損なわれていく状況だった。

 私にとっては、劉氏が海外で治療を受けることを望んでいること自体、最初は意外に感じられた。「自由のある国で死にたい」という劉氏の言い分が伝えられたが、これまで海外に永住する機会が何度もありながら、「中国に残ってこそ中国を変えられる」と述べてきた劉氏らしくなかったからだ。

 だが、次第にその本意が明らかになってきた。軟禁状態に置かれている妻の劉霞さんへの思いやりだったようだ。劉氏の逮捕後、精神的に不安定になり、体調を崩した劉霞さんを自分の出国と一緒に海外に連れ出し、救おうとしたのだったが、その思いも習近平指導部には届かなかった。劉霞さんら家族の消息は、劉氏の死後、まだ伝わってきていない。

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