生と死のはざまで、人生を見つめる

命を落としかけ、倒産しかけるなどの苦難を乗り越えてきた中村太一氏

 1980年、神奈川県小田原市生まれ。子どもの頃から中村氏を知る人々は、「いつも自分のことはニの次、三の次。とにかく困っている人、弱い立場の人のためにとことこん尽くす心底やさしい人」と口を揃える。

 高校時代はラグビーに熱中。しかし、県大会の決勝戦で相手チームの選手と激突し脳内出血を起こして生死の境をさまようことに。以来、「まあ、いいってことよ」「死ぬわけじゃないし」「死なないなら何でもオーケー」というのがクチグセになったという。また、慶応義塾大学商学部時代には、親しかった麻雀仲間(先輩)がバイク事故で即死。人生の有限性、その中で果たすべき自己の使命に改めて思いを致したようだ。

 そんな中村氏が、経営コンサルティング会社「日本LCA」に入社後、その子会社で老人ホームを全国展開する「ケアリンク」へ自ら希望して出向したのも、ある意味、当然だったのかもしれない。

 そこで彼が目にしたのは、高齢者たちの「床ずれ」の苦しみだった。長時間寝たきりでいることによって背中・腰の血流が阻害され、床ずれは起きる。頻繁な体位変換をすれば、ある程度、防げるが、24時間体制で全員の面倒を見るのは難しい。

「苦しみから解放してあげたい。これはビジネスチャンスになる」

 そう確信した中村氏は、2005年、独立し、仲間2人と共に、ベネクス(VENEX)を創業する。「Creative Next」(次代を創造する)という思いを込めての命名だった。

 どうすれば、床ずれは防げるのか? 暗中模索の日々が続いたが、最先端技術に関する東京工業大学での定例の勉強会の中で、ナノテクノロジーが身体に好影響を及ぼすらしいことを知る。

「これだ!」

 以来、彼は研究開発に没頭。試行錯誤を繰り返し、2年後、上記「PHT」の開発に成功。そして、それをベースに介護用ベッドマットの商品化を実現した。販売価格は10万円。製造は他社に業務委託。

「これで、躍進できる」と胸が躍った。ところが・・・。

借金1億円からの逆転劇

 どんなに営業を重ねても、ベッドマットは1枚も売れなかった。