第3回将棋「電王戦」、第2局開催

「第3回将棋電王戦」の第2局で対局した佐藤紳哉(Shinya Sato)六段と将棋ソフト「やねうら王(YaneuraOu)」が搭載されたロボットアーム(2014年3月22日撮影)〔AFPBB News

前回、タイトルにつられて誤解された読者もあったようですが、長年ご愛読いただいている皆さんにはたぶん明らかでしょう。私は大学受験にスマートフォンなどを持ち込むことに(特に日本の入試では)大反対です。

 今回は、将棋とコンピュータ―の関わりの変化から、私たちの社会とAIのクリエイティブな関係を検討してみたいと思います。その必然の結果として、テストにスマートフォンは不要という結論が出てくることになります。

将棋に見るコンピュータ―の変遷

 必ずしも囲碁・将棋の熱心なファンではない私ですが、前回東京オリンピックの年に生まれた学年の私たちにとって、子供の頃の棋士と言えば、何と言っても大山康晴(1923-92)と升田幸三(1918-1991)が双璧でした。

 これに若手として加藤一二三(1940-)、米長邦雄(1943-2012)、中原誠(1947-)といった若手(だったのです)が綺羅星のように続いてしのぎを削っているところに、ほぼ同世代の谷川浩司さん(1962-)が颯爽と登場・・・といった印象で将棋を眺めていました。

 それが大きく変わったのは、私たちが成人し、5、6歳下に当たる世代が恐るべき中学・高校生として台頭してきた頃からと思います。

 端的には羽生世代、すなわち羽生喜治(1970-)、森内俊之(1970-)、佐藤康光(1969-)、村山聖(1969-1998) といった人々が登場して、棋界に新風を吹き込みました。

 ここで、ややとっぴな対比を記しておきましょう。NECから「PC98シリーズ」最初の「PC-9801」が発売されたのが1982年10月、この頃、私は高校3年生でしたが、まだ将棋で羽生世代は登場していません。1980年代を通じてPC98シリーズは進化を続け、その途中、1980年代後半から羽生世代が台頭する。

 彼ら「恐るべき子供たち」は、登場の当初からパーソナル・コンピュータ―が身近にあった世代として、棋士生活にこれを適切に生かしている印象が当時からありました。

 実際に、個々の棋士がどのようにPCを使っていたのか、あるいはいなかったのか、細かなことは把握し切っていません。

 しかし、棋譜がデータベース化され始めて検索可能となり、必要に応じてそれを呼び出したうえで、一度紙にプリントアウトし、さらに駒を盤面に並べて熟考の助けにするという形で、いま40代後半の棋士たちは「恐るべき子供たち」として当時の名人たちの前に立ちはだかり始めたように思います。