「目利き」が商売の軸を作る

 この「目利き」機能のことを思えば、実は商売は大事な機能を果たしているということが分かる。

 かつてキリスト教の世界観では、「商売というのは、右から左へ商品を動かしているだけで、何もしていないじゃないか」という批判的な見方があった。しかし目利き機能があると、売りたい人には売り先を見つけやすくし、買いたい人には欲しいものが得られやすいようにする、そういった潤滑油的機能を果たすことが分かる。

 日本は戦前、かなりの農業国で、戦後の発展で工業国に生まれ変わったが、「モノを作る」ことに価値を置いてきたという意味では、あまり変わっていない。そのせいか、「商売」という仕事を、どこかズルしているようなイメージでとらえている人は少なくない。

 しかし、商売をする人がきちんと「目利き」をするのであれば、モノを作る人、買う人、双方にメリットがあるようにすることができるのが、商売人の真骨頂だろう。

 そう考えると、実は「目利き」の機能を失っていることに自覚のない商売人が少なくないのではないか、ということが心配になる。

 とある業界の卸売業は、それこそ「あっちの商品をこっちに移す」だけのことしかしないで中間マージンを取っているので、売りたい製造者も、購入したい消費者も不満があるという困った状況になっているようだ。どうやら「目利き機能」を失って漫然と商品を右から左に流しているだけの卸売業というのが、日本では少なくないらしい。

 これは戦後日本が「世界で最も成功した社会主義国」と呼ばれるほど、工夫をしなくても成長できた時代が長かったためのようだ。いつしか、卸売業に期待されている機能が「目利き機能」と「商品の品ぞろえ」であることを失念してしまったのかもしれない。

 江戸時代、全国のコメが大阪の堂島市場に集まったのも、必ず売り先が見つかる、必ずほしいコメが買えるという「品ぞろえ」と「目利き」が両立していたからだろう。

 最近になってコメ市場を再興しようとしたが失敗に終わったのは、コメを作る人に「絶対売り先を見つけて見せます」、コメを買いたい人には「絶対お望みのコメを欲しいだけ手に入るようにして見せます」という目利き機能を果たそうとしなかったためではないか、と思われる。

 目利き機能は、すれ違いがちな「売りたい人」と「買いたい人」を確実につなぐための重要な機能だ。日本の商売人は、もっともっと意識的に「目利き」としての腕を磨くことを目指してほしい。するとあなたが「結節点」となり、世界の商品があなたを軸に流通するようになるかもしれない。