「コンピテンシー」も無意味に

 これまで人事評価にしても勤怠管理にしても、仕事のプロセスが見えることを前提にしてきた。だからこそ働きぶりを評価し、勤務時間や勤務態度を管理することに意味があったのである。

 ところが仕事の重要なプロセスが頭の中にあって見えない以上、それを評価することも管理することもできない。職場でボーッとしているようでも頭の中はフル回転で思考をめぐらせているかもしれないし、逆に見た目はがんばっているようでも頭の中では妄想にふけっているかもしれない。

 また仕事のアイデアは職場にいるときに湧くとはかぎらず、散歩中や入浴中に湧くこともよくある。とくに大部屋で仕切りのない日本のオフィスは、雑用や事務作業には適していても、クリエイティブな仕事には向かない。むしろ物理的、制度的な制約の少ない職場外のほうが、生産的な活動に適しているともいえよう。

 したがって表面に出た態度や行動を評価し、働く時間や場所で管理しても意味はないのである。それどころか評価・管理されていることを意識すると仕事に集中できず、かえってパフォーマンスが下がる場合がある。

 その意味では一時はやった「行動評価」や「コンピテンシー」、すなわちハイパフォーマーに共通する行動特性を抽出して評価や育成の基準に用いるという方法も、やはり有効性に限界があるといわざるを得ない。

 頭の中で行われている重要な仕事のプロセスが見えない以上、表面に出た行動だけを評価したり、まねたりしても無意味だからである。

評価も管理もしないという新潮流

 では、どうすればよいか?