それまでのやり方では、すべての手術室に手術の予定を入れていた。そのために重態の救急患者が運び込まれると、予定していた手術用の道具まですべて片付け、新たに道具をそろえ直し、キャンセルになった患者の予定の組み直しなど、事務作業も膨大になった。無駄を省こうとして大量の無駄が生まれていたのだ。

 しかし救急用に手術室を空けるようにしたことで、予定された手術は予定通りに、救急患者は空いていた手術室にスムーズに入れた。「いつも1つ空けておく」という一見「無駄」に見えるものを容認することで、意識化できていなかったもっと大変な無駄を省くことに成功したのだ。この病院は、このシンプルな改良をすることで、こなせる手術数が大幅に増えたという。

浮かび上がるために

 バブル以降しか知らない世代は、「余裕を失うギリギリまで働く」という働き方しか知らない。しかし、そんなやり方を続けていたらイノベーションなどできるはずがない。2000年代初めまでは液晶、デジカメ、フラッシュメモリーなど、世界に誇る技術が立て続けに登場したのに、その後停滞が続いたのは、余裕を失っているうちに「貯金」を使い果たしてしまったからではないか、と思える。

 今の日本に必要なのは、これまでの「もっと頑張れ、そうでなければ世界から取り残される」と脅し、尻を叩き、余裕ひとつ残さず無休憩で頑張らせようとすることではなく、「もう十分頑張ってる。むしろ“少し頑張らない”余白を意識的に作り、力こぶの入れ所を考え直そう」と訴えることではないか。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉がある。溺れて慌てて暴れると、余計に溺れる。溺れた時はあえてジタバタせず、覚悟を決めて力を抜くと体が自然に浮かび、そのうち浅瀬に打ち上げられる、という、なかなか味わい深い言葉だ。

 拙著『自分の頭で考えて動く部下の育て方』への批判的な声には、「そんなに手間暇かけて部下を育てていられる恵まれた職場なんて現実にはないよ」というものがある。私もその通りだと思う。だから指示待ち人間が増え、指示を出すのに忙しくて「自分がやった方が早い病」になり、仕事の能率が落ち・・・という悪循環に陥るのだろう。

 思うに、自分の頭で考える部下が育てば、能率は大幅に向上する。それを妨げているのは、目一杯に頑張ってしまうことなのだ。頑張るから能率が下がる悪循環に陥ってしまうのだろう。

「失われた20年」では、皆が溺れて慌ててジタバタしていた。しかし、もはや少子高齢化で大変になることは請け合いなのだ。ならばいっそ脱力してみよう。脱力して生じた余力、余白が、私たちに思考する余裕を与え、力こぶの入れ所を教えてくれるように思う。