北朝鮮外務省、核実験「いつどこでも実施」と威嚇

北朝鮮東部で、朝鮮人民軍の軍創建85周年の記念行事に出席する北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長(2017年4月26日撮影)〔AFPBB News

 日本は北朝鮮がノドンやムスダンなどを展開した前世紀末から射程内に入っている。核の小型化こそ未完であったが、核と同様に大量破壊兵器に分類される生物兵器や化学兵器も大量に装備しているとみなされてきた。

 しかし、日本自身が安全保障の観点から問題視することはなかった。改めて気づかされることは、日本は自国の安全に無頓着で、何らの対策もしてこなかったということではなかろうか。

 一昨年の安保法案審議でも見たように、実質的、かつ具体的な議論は一切避けて、憲法論議に終始した。今回明らかになったような脅威が一切議論に上らないため、いつの間には「日本が危機に直面することはないかのような」錯覚に捉われてきた。

 実は北朝鮮以上に潜在的な脅威が中国であることは先にJBpress拙論「『国の守り』を放棄する学術会議でいいのか」で述べた通りである。

 ともあれ、日本では隣国の脅威などを議論するのをタブー視して、ただ米国の抑止力をあてにするだけである。

 普通の国家であるならば、普段から英知を集めて非常時に備えた準備をするのが当然であるが、日本ではそうした意識が欠落している。その最たるものは日本学術会議が「軍事目的の科学研究を行わない」と決めたことであろう。

 安全保障は何を差し置いても優先されるべきことであり、科学研究の総力結集が欠かせないからである。

現代戦の様相

 言霊信仰の強い日本では、「戦争」という言葉は忌避される傾向にある。特に戦後生まれの日本人は軍事に関する認識をほとんど持ち合わせていない。

 そこで、実戦場裏としてはベトナム戦争映画の「プラトゥーン」か、仮想空間で得体の知れない何かが作用して通信遮断などによる混乱をもたらす状況などではなかろうか。

 かくて、戦争は戦場にある将兵たちの戦い、あるいは関係する少人数の領域のことくらいの認識である。従って、軍人をはじめとした特定の人に任せておけばよいというものである。

 しかもその様相は、爆撃機が侵入してくる敵軍に対して爆弾を投下して阻止・減殺する。その後、当方は侵攻してきた残余の敵に対して、戦車や大砲などの火力支援を受けた歩兵が相手の陣営に突入するという第2次世界大戦からベトナム戦争までくらいのパターンである。

 しかし湾岸戦争では、偵察衛星と巡航ミサイルの組み合わせによって、敵に発見されずに従来は考えられなかった遠隔地の主要人物や施設などをピン・ポイントに攻撃できるまでになり、当方が被害を受けることなく破壊率を著しく高めることができた。