炎天下、チーミンダイン駅付近でひたすら地道な計測作業を続ける技術者たち

2年ぶりの再会

 10月の満月を祝うダディンジュが来ると、長かった雨期も終わりだ。パゴダ(お寺)や家々の前にろうそくの光が灯されるのは、天から降りて来るお釈迦様の足元を照らすためだそう。

 大通りの左右に伸びる路地の一本一本にも、通りを挟んで建つアパートからアパートへワイヤーを渡してイルミネーションが飾られたり、家の外壁にもきらきらと灯りが輝いたりして、街全体がクリスマスのように華やぐ。

 そんなお祭りを目前に控えたある朝、ヤンゴン環状鉄道の主要駅の一つ、チーミンダイン駅の線路の上で懐かしい人と再会した。(株)日本線路技術の藤原英夫さん。

 初めて会ったのは、2014年10月。日本で長年、鉄道線路の検査・計測や、調査・設計の第一線に立ってきた藤原さんは、当時、老朽化が激しいこの国の鉄道を改良するために日本の技術支援で実施されていた保線の技術指導を行う専門家としてミャンマーに派遣されていたのだ。

 毎朝、ミャンマー国鉄(以下、MR)の職員に砂利の突き固めや枕木交換のやり方を指導しながら、「そんなやり方では、全然ダメだ」「あぶねぇぞ、もっと声出せ、声!」などと東北なまりの日本語で叱る一方、休憩時間には「おーい、腹が減っては戦はできんぞ。バナナ食うか?」「暑いな、大丈夫か」などとMR職員らをねぎらっていた藤原さん。

 なぜか東北弁とミャンマー語で和気あいあいと盛り上がっている姿が不思議であると同時に、「これ、母ちゃんが持たせてくれたんだよね」と言いながら薬がぎっしり詰められたジップロックの袋を嬉しそうにリュックから取り出して見せてくれる笑顔がチャーミングでもあった。

 2年ぶりに会った藤原さんは、「あのころに比べると俺もずいぶん歳を取ったよ、今年は65になるもの」と少しだけしんみりしたものの、次の瞬間には「おーい、ここの番号は合っているかー」と、コンクリートのブロック塀越しにひっきりなしに聞こえてくる車のクラクションに負けない張りのある声を辺りに響かせた。東北弁も健在だ。

 「おい、菊、その数字、間違ってねぇか?」という藤原さんの問い掛けに、「菊」と呼ばれた同社の片菊和輝さんが、「あれ? あ、すみません」と頭をかく。

 再びしゃがみ込んで数字を確認する片菊さんを眺めながら、「菊は、もともとJR東日本の社員だけど、今、うちに出向してきてるの」「こういう海外の現場は、菊みたいな20代の日本の若者にとってもいいんだよ。国内じゃ彼らが直接こんな現場を経験する機会はもうないからね」と話す藤原さん。

 後進への思いと期待が混じったあたたかい笑顔は、2年前と少しも変わっていない。

分岐する線路の上でメンバーに指示を出す藤原さん(=左から2人目)