乱交のご誓文

 当時の民衆は大半が文字を解しません。そのような大衆は、もっぱら伝聞で、つまり不正確な聞き覚えと口伝えで、16歳の若いお天子が誓ったという新しい世の中の決まりを理解、と言うか誤解したようです。

第三条 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

 は、

一 役人や侍は言うに及ばず、下々の庶民に至るまで、各々、自分が思いを持ったなら、その志を遂げて交わり、決して飽きたりしないことが肝要であるぞよ

 と解釈されました。

 以下、下川耿史『盆踊り・・・乱交の民俗学』の記載をもとに、噛み砕いて見ましょう。

 民俗学者の宮本常一は大阪府南河内郡磯城村(現在の太子町)上の太子に伝わる「一夜ぼぼ」の風習について報告しています。

 ここは聖徳太子の廟堂のあるところで、旧暦4月22日の夜は寺の前に高い灯篭が立てられ、着飾った人々が参詣し、酒が振舞われ、そこでは一目見て気に入った相手がいれば誰に手をかけてもよく、いやなら相手をふりほどき、ふりほどかれないかぎりは、手に手をとってあたりの森の中に消えていった、一年でこの日に限ってはこのような乱交が認めらていたそうです。

 これには「ここでもらうとよい子種を授かる」という言い伝えが付随していて、この日に仕込まれた子であれば、父親がいなくても村落全体で大切に育てる、といったことがあるようです。

 ちなみに、仮に妊娠期間を270日程度と見なして計算すれば翌年の1月17日前後、一番寒い時期と思いますが、この頃に子供が生まれる計算になります。農繁期を避けた時期で、封建共同体として都合のよい「発情期」が設定されていたことが分かります。