元々、山田氏はキャリア官僚だった。東大法学部を卒業して1986年に自治省(現総務省)に入省。鹿児島県、衆議院法制局、自治省選挙課、大分県、自治大学校などでの勤務を経て、35歳で霞が関を捨てて流しの公務員への道を踏み出した。

 本書は流しの公務員としての活動の記録と、現場での数々の成功や失敗を通して体得した仕事論を、山田氏が綴ったものだ。

 山田氏には「冷えた体を温めるには、手先足先から」というポリシーがある。つまり、<霞が関に優秀な人材を集め、いくら素晴らしい政策をつくっても、それが現場できちんと実施され、効果が上がらなければ日本は良くならない> ということだ。山田氏はひたすら現場に飛び込み、地元の人たちと一緒に汗をかき、目の前の課題を解決していく。そうやって導き出された仕事論は説得力に満ち、巷の頭でっかちな「べき論」とは明らかに一線を画している。

「死人病院」の再生というミッション

 本書には、山田氏が日本各地の自治体で携わったさまざまなプロジェクトが登場する。圧巻はなんといっても最も多くのページを割いて語られる愛知県常滑市における市民病院の再生だろう。

 山田氏は、かつて自治体大学校の“教え子”だった常滑市長(年齢は市長の方が7つ年上だ)から「市民病院の再生」を依頼される。築50年を超えた常滑市民病院は老朽化が進み、市民からは「死人病院」と陰口を叩かれる始末。また、毎年7~8億円近くの赤字を出し続け、累積債務が膨れ上がっていた。