上海で日本語学校の先生をやるのも楽じゃない。

 中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。

【第1回】「中国語ができないと猫柄のタオルを買わされる」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48280
【第2回】「少林寺でいきなりスカウトされた中国語武者修行の旅」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48426
【第3回】「『出口どこ!?』ウイグルの砂漠で死ぬかと思った話」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48609
【第4回】「日本語を学ぶ夜のお姉さん、意欲も服もすごかった」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48934
【第5回】「『ええっ?これ?』 中国の消防士、目が点に」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49149
【第6回】「中国人社長の熱すぎる説得で日本語学校の職員に」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49399

 新しい日本語学校を立ち上げるという張さん(仮名)の猛烈なスカウトに負け、新たな職場へと移った自分。だが、そこにはやはり大きな落とし穴が待っていた。

新しい職場の悩み

 新しく立ち上がった日本語学校で教務主任を務めることになった僕は、その時点で日本語教師経験わずか1年、しかももともと日本語教育が専門ではなかった。それでも何とかそれまで使用した教材を総動員し、見よう見まねで時間割などを作り、もう1人の先生と一緒に授業を組み立てた。

 日本語学校と言えば、最近では綺麗な女性が受付に座っていることが多いが、我々の学校の受付は張さんの親戚のおばあちゃんだった。

 日本語学校に限らず、中国企業はスタートアップの場合、たいてい家族経営であることが多い。後で気づいたのだが、我々の日本語学校でも、社長=張さん、もう1人の先生=張さんの奥さん、受付のおばあちゃん=張さんの親戚、掃除のおばちゃん=張さんの弟の奥さんで、他人は僕だけだった。

 こういう構成の場合、確かにスタート時は意思の疎通がスムーズにいくのでうまくいきやすいが、一旦事業が軌道に乗ると家族だけにもめることが多い。名だたる中国の大企業でも、兄弟や家族、夫婦で起業して成功した後、喧嘩別れしたという例はとても多い。

 ところで、ようやく立ち上がった我々の日本語学校は、当時その付近に日本語学校が無かったことや、日本のドラマが流行していたこともあり、結構な数の学生が集まり、順調なスタートを切った。長年の夢が叶った張さんは、大はしゃぎで頻繁に学校に現れては、自分も授業を担当して喜びをかみしめていた。だが、この時、僕はかなり大変なことになっていた。