包丁もそう。包丁はカナヅチみたいにクギは打てないし、ノコギリのように木は切れない。包丁になることで多くの可能性を失ってしまうのかもしれない。しかし包丁として優れたものになれば、大工さんやお医者さん、学校の先生や美女に食事を提供するという広い世界に出会える。あえて特化するからこそ、広い世界との出会いを持てるということがある。

 カナヅチよりもノコギリがよかった、包丁になるよりフライパンがよかった、なんて「あり得たかもしれない他の人生」を探すよりも、今、自分に与えられた、あるいは選び取った人生をこれでもかというくらい磨くこと。営業だったら、誰もが相談したくなる営業マンを、製造だったらこの人に聞けばみんな分かるというエキスパートに、事務だったらこの人に任せておけば大丈夫と思われる人になればいい。

 与えられた仕事をしっかりこなせば、狭いと思っていた仕事をきっかけに、いろんな出会いが持てるもの。あえて特化して、特化しまくって、その先に広がる世界を楽しみにしてもよいのではないか。

やりたい仕事は自分で呼び込む

 それともう1つ。仕事を「与えられたものをこなすしかない」と思いすぎ。確かに会社勤めは、指示されたことをきちんとこなすのが大切。とはいえ、将来の希望まで黙らなければならないわけではない。

 目の前の仕事をきっちりこなしながら、「僕、こんなことをやりたいんです」と熱く語り続けていると、不思議なことに、そういう話が会社に舞い込んできたとき、「そういえばあいつ、ずっとこんなことをやりたいと言っていたな」と、話を持ってきてくれる。

 仕事は受け身ばかりではなく、自分から「自分のかたちを作る」ことも可能。もちろんすぐとはいかない。けれど、ずーっとこれやりたい、これやりたいと訴えていて、それでいて目の前の仕事もしっかりこなし、やりたいことの勉強も続けている人間がいたら、「あいつにやらせてみるか」となるものだ。どんな会社に行くにしろ、自分から仕事は取りに行く姿勢でいるとよい。

 私と同年代の人間で、政治家になりたいと言っていたやつは本当になった。企業社会にインターンの制度を根付かせたいと言っていたのは、本当に根付かせてしまった。「こんなことがしたい」と言い続けていると、不思議なもので、そうした話を周囲が持ってきてくれるものだ。