こんな時代だからこそ、つながりを求めたくなる。

 これからは「コミュニティ」の時代です。そのことはもう私の中では自明に近い確信があることなのですが、改めて「それはなぜか?」と聞かれると考えてしまいますし、毎回違うことを答えてしまいます。そのいずれもが答えとしては正しいのだとは思うのですが、ちょっと整理してみましょう。

経済の成熟化による大企業の限界

 日本を含む先進国経済は少子高齢化・成熟化し、これ以上の成長は望めません。イノベーションによる部分的な成長はあるかもしれませんが、かつてのような護送船団的な高度成長はもうないでしょう。全体のパイは拡大せず、ピラミッド型の組織による単純な成長は行き詰まっています。大企業ほど、閉塞感は強いという状況です。

「滅私奉公さえしていれば、悪いようにはしないから」というような単純な終身雇用のモデルはとっくに崩壊していて、実力主義の名のもとに企業は責任を放棄しました。サラリーマンは保険として稼ぐチカラを身に付けたり、会社以外のコミュニティに属する必要が出てきているのではないでしょうか。

豊かさによる欲望の変化

 かといって日本が貧しくなっているわけではなく、むしろ豊かさは増していると思いますが、そんな中でもコミュニティのニーズは高まります。マズローの欲求段階説によれば、生理的欲求や安全欲求が満たされたあとには社会的欲求、承認欲求、さらには自己実現欲求が表出してきますから、欲求が会社だけでは満たせなくなるんです。

 若くて自己実現欲求が高いと「意識高い系」なんてバカにされたりしますが、生まれたときから食べていく心配がなくて人とつながるのが当たり前という世代は、上位の欲求が強くなって当然です。生きるために仕事をするだけでは満足できず、何のために生きるのかを追究することになる。そこにコミュニティがハマるわけです。