この最後の部分が問題にされているが、原文は「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。これは「戦争になったら天皇に命を捧げよ」という意味で、天皇主権だった明治国家としては当然だった。

 同じような言葉は、イギリスやフランスの国歌にもある。これが軍国主義なら「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」と繰り返すフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、もっとあからさまな軍国主義である。

 教育勅語の中身は、多くの人が思っているほど危険なものではない。たった315字の訓話で、300万人以上の人々を戦死させることができるはずもない。これを軍国主義として全面否定するだけでは、日本が道を誤った原因は分からない。

明治憲法を補完した「家族国家」

 教育勅語を1890年に起草したのは、当時の法制局長官、井上毅である。彼は明治憲法を起草した知識人だが、憲法と同じぐらい教育勅語には情熱を傾けた。それは彼が自由民権運動に危機感を抱き、日本国民を統合するには、天皇を中心とする国家意識を子供のときから教え込む必要があると考えたからだ。

 彼が山県有朋首相に提出した勅語の7条件には「敬天尊神などの言葉を避けるべきだ」と書かれ、政治的に中立で陳腐化しないように工夫されている。たしかに「忠孝」を強調する家族国家は儒教的だが、「仁」や「礼」といった儒教独特の言葉はない。

「皇国史観だ」ともいわれるが、それらしい表現は冒頭の「皇祖皇宗」ぐらいで、天皇を神格化することは避け、「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」というように立憲主義を強調している。これは明治憲法から一貫した井上の思想である。

 当時の日本が直面していた最大の脅威は、ヨーロッパ列強の侵略だったが、彼らの国力の最大の要因は、多くの国が「国教」で国家を精神的に統一したからだ、と井上は考えた。しかしキリスト教が2000年近い歴史の中で神学大系を完成させたのに対して、日本にはそういう宗教が何もない。

 そこで井上は聖書の代わりに教育勅語をつくったが、これはあまりにも抽象的で簡単すぎたので、東大法学部では、上杉慎吉や穂積八束のように天皇親政を「国体」とする学説が主流になり、美濃部達吉のような立憲君主制は異端として追放された。そのとき立憲主義の教育勅語は利用されなかった。