巨大化した自動化社会を維持するには、大量の消費者が必要だ。しかし、消費者にお金を分配する根拠の「労働」は、自動化社会では失われてしまう。つまり、自動化すると労働者がいらなくなり、ひいては消費者が消えてしまう。自動化社会は、儲けを増やそうとしたらお客さんをなくすという妙な矛盾を抱えたシステムだと言える。

 ならば、「労働」していなくてもお金を配る仕組みを作らざるを得なくなるだろう。働いているかどうかを問わず、一定のお金を配り、みなさんに消費を続けてもらう。ベーシックインカムというやつだ。お金を渡す条件が「労働する義務」から「消費する義務」に変わるという、現在の私たちにはちょっと想像のつかない大転換となる。

 だが、これには投資家が大反発するだろう。「なんで働きもしない人間に金を渡すんだ! その原資は、俺たちの税金だろう? 怠け者に渡す金なんてない!」。まあ、これまでの常識に照らせば全くその通り。働かざる者食うべからず、と言われてきたのだから。

 しかし、そんな話になるほど自動化が進むのだとしたら、農業も非常に少人数で行われる産業になるだろう。戦前は人口の半分以上が農家で、食糧生産を支えたが、今や先進国では1~2%の農業人口で食糧を生産している。かつては農家1人が2人分の食糧を作っていたのだが、現在は100人分の食糧を作る時代なのだ。

 これからはもしかしたら、1人の農業従事者が1000人分の食糧を作る時代になるかもしれない。しかし大量の食糧を作っても、それを購入できる購買力のある消費者がいなくなる時代が来たとしたら、いったい何のために食糧を作るのだろうか?

「分配」が社会を運営する基礎

 食糧問題の視点から見ると、「分配」という考え方はカギになる。

 江戸時代に大量の餓死者を出した大飢饉でも、実は「分配」さえ完全に機能すれば餓死者を出さずに済んだと言われている。凶作でコメが高く売れるとみた投機家が市場にコメを出そうとせず、食糧確保に失敗した藩で大量の餓死者が発生したのが実態だった。もし余裕のある藩がコメを供出していたら、餓死者は発生せずに済んだろう。

 食糧危機は、食糧生産の絶対量の不足で起きるというより、分配がうまく機能しないことによって起きるのだ。