山本 はい。研修所は、1985年に1年ほどの研修期間で始まり、1986年からの10年間は1年制で、現在は2年制になっています。毎年10名強の若者が選考で選ばれ、2年間研修を行います。修了後、鼓童メンバーに入れるかどうかの最終選考が行われ、例年およそ0〜4、5名の若者が加入しています。非常に厳しい世界ではありますが、とはいえ、これにより全国から佐渡に若者が来る形ができています。

──研修所では、どのようなプログラムが用意されているのでしょうか。

山本 太鼓の技術を養うだけではなく、いろいろな日本文化を勉強していきます。能楽や笛、唄、踊り、茶道などですね。さらに研修生は、野菜や米の栽培、日々の料理、ものづくりなども学びます。

 太鼓以外の授業では外部講師を招くことが多いのですが、大切なのは、これらの講師を島内の人にもお願いしていること。佐渡の能楽愛好家や舞踊の講師をはじめ、魚屋さんが魚のさばき方を教えたり、大工さんや指物師さんが木工を教えたりするんですね。講師にとっては、島外から来た若者に自分の技術や知識を伝える機会になっています。

 また研修所を修了後、正式メンバーとならなくても島に住み続ける人もいるので、研修の中で自然に地元住民とのネットワークを作れますよね。このように、地元の人材や資源を活用しながら、若者と地域の関係構築を図っているんです。

──現在は、どのくらいの人が鼓童のメンバーとして島に住んでいるのでしょうか。

山本 鼓童のメンバーは総勢50人ほどおり、彼らはみな佐渡島に住んでいます。島内出身者は数人で、ほとんどが外から来た人たち。鼓童のグループ内で家庭を持つ人は多いですが、中には島民と結婚したり、PTAの代表を務めた人もいるようです。

──メンバーを育成するのが主目的とはいえ、鼓童の活動は佐渡島に若者を呼び、人材をつくる一助にもなっているんですね。

山本 太鼓を持って世界を回っている鼓童が、“地域の窓口”になりつつあるということです。中でも1980年代から始まった研修所は、20年、30年の間に「鼓童の学校=佐渡」「佐渡の鼓童で学ぶ」というオーセンティシティ、その地域にしかない価値を育んだんですね。

 さらに鼓童では、ほかにもさまざまな地域貢献を行ってきました。島外から若者を呼ぶだけでなく、島の子どもにも自分たちの財産、すわなち太鼓の体験教室などを通じて、改めて地元の文化を振り返る機会を提供しています。これも、地域の人材づくりにつながるものでしょう。

 そういったことが認められ、彼らはある時、地域の伝統文化である「鬼太鼓」への参加を許されました。これらについて、次回さらに詳しく紹介します。

(続く)