山本 そうですね。民俗の宝庫であり太鼓という伝統が根付いていること。また、豊かな自然もある。これらから、彼らは「佐渡」という土地に価値を見出していたんです。本物を感じさせる場所であり、オーセンティシティにつながりますから。

 佐渡の國鬼太鼓座は、元々、民俗学者の宮本常一の提唱により、佐渡に伝統文化を学び継承する学校を作ろうという構想に賛同した、地元の方々と島外からの若者により設立されました。

 ただし、1981年に鼓童を発足してからは、前身とはまったく違う活動方針をとります。前身団体は、佐渡島を拠点にしつつも、主宰者の意向で地域住民との接触は避けていました。ひたすら太鼓だけに向き合う。求道し続けるブランドイメージを作っていたんです。こういった活動について、住民の中には理解者もいましたが、近隣地域からは十分な理解を得られていなかったようです。

 しかし鼓童では、地域との関係構築や地域への貢献に力を入れます。やがてそれは、地域での人材づくりにまでつながっていきました。

──具体的に、どんなことを行ったのでしょうか。

山本 1986年から、彼らは地域の人の協力を仰ぎつつ、自分たちが住んでいる本拠とは別に新しいメンバーを育成する研修施設を島内に作ります。鼓童への加入を目指す若者が、全国または海外から集い、全寮制の研修所で長期間トレーニングを積んでいく。その際、研修施設として使われたのが地元の廃校でした。

──廃校を使えたということは、自治体や地域の人の理解も得られたのでしょうか。

山本 そうですね。彼らに対して、一定の理解を示す人は地元にいたと言えます。さらに鼓童は、1988年に稽古場や事務所、メンバーの住居などを併設した「鼓童村」を佐渡の南西部に作るのですが、このときも自治体が県道から予定地に通じる道路を建設するなどの協力をしてくれました。このように、鼓童は地域と融和しながら活動していきます。

太鼓集団は、今や佐渡という地域の窓口

──鼓童に入りたい若者は佐渡島に毎年やってきて、全寮制の研修施設でトレーニングをする。そして、鼓童の一員になると、そのまま島に住むという流れができたわけですね。