山本健太氏(以下、敬称略) それを説明するために、まずは佐渡島の土地柄に触れておきましょう。ここはかつて、江戸時代に物資を運んだ北前船の係留地として栄えました。また、平安時代の流刑地でもあったため、京都の都文化が盛んに伝えられました。たとえば、京都に伝わる「八百比丘尼(やおびくに)」という伝説は、佐渡島にも残っています。

 通常、そういった昔の文化は時代の中で薄れていきますが、本州から離れている佐渡島には古い文化が色濃く残ります。これは文化の伝播の話で、中央から離れた地域ほど、言語や慣習などは昔のものが残りやすいんですね。加えて、離島のため人の行き来も多くありません。そのため、佐渡は「民俗・伝統文化の宝庫」と言われます。

 このような中で発展した佐渡の文化に、「鬼太鼓(おんでこ)」という太鼓の伝統芸能があります。やはり島外から伝わったもので、佐渡内で大きく5つの型がある独特の文化。しかも、地元の人しか参加が許されてこなかった神事です。これは後々のポイントとなりますが、いずれにせよ、佐渡の人にとって「太鼓は自分たちの文化」と意識するほど大切なものでした。

──もともと佐渡にはそういった伝統があったわけですね。

山本 はい。こういった背景が、佐渡島を拠点とした理由のひとつになります。

 実は鼓童が発足する前、「佐渡の國 鬼太鼓座」という前身団体が、1971年からここに拠点を置きました。これが佐渡島で活動する基礎になったわけですが、この前身団体は1981年に解体します。主宰者は佐渡を離れ、残ったメンバーで再スタートしたのが鼓童でした。メンバーは、地域を移るのではなく、引き続き佐渡島で活動する形をとったのです。

立ち上げた「研修所」が、島に若者を招くことに

──やはり佐渡島にはそれだけの魅力があったということでしょうか。