(英エコノミスト誌 2017年2月25日号)

麻薬撲滅戦争を軍主導に 比大統領、中毒者のさらなる殺害誓う

フィリピン・マニラのマラカニアン宮殿で記者会見を行うロドリゴ・ドゥテルテ大統領(2017年1月30日撮影)。(c)AFP/NOEL CELIS〔AFPBB News

それとも、ピボットというよりはクルクル回り続けるピルエットに近いのか。

 マニラの渋滞や排気ガス、喧噪を逃れて一息つきたければ、コレヒドールという島への日帰りツアーに参加するといい。

 マニラ湾の入り口を守る「東洋のジブラルタル」と呼ばれたこの島は、かつてジャンク船が中国との交易やイスラム教をもたらす様子、ガリオン船がスペインのカトリックの教えを持ち込む様子、そして1898年にジョージ・デューイ提督が軍艦でやって来て米国支配の歴史を始める様子を見つめてきた。1941年には日本の侵略者がやって来て、ツアーガイドの説明によれば、フィリピン人の赤子を空中に放り投げては銃剣で受け止める遊びに興じたという。

 フィリピン国民の多くは米国に愛着を持っている。共有されている第2次世界大戦時の記憶――米兵とフィリピン兵によるコレヒドール島での後衛戦、遠く離れた収容所まで捕虜を歩かせた「バターン死の行進」をはじめとする占領の悲惨さ、そして1944年のダグラス・マッカーサー将軍によるマニラ奪回――は、そのことを説明するのに非常に役に立つ。

 コレヒドール島には、米国のGI(背が高く快活そうで、ヘルメットをかぶっている)が仲間のフィリピン兵(背が低くけがをしていて、頭にはバンダナを巻いている)に肩を貸す「ブラザーズ・イン・アームズ(戦友)」という銅像がある。このような像を建てる(または、建造に耐える)ことは、植民地支配を受けたことのあるほかの国々では考えにくい。

 こうした戦友としての関係は、米国統治下の蛮行とパターナリズム(保護者的統制主義)に対するフィリピン国民の恨みをいくらか和らげている。独立から70年が経過した今、フィリピンは米国から枝分かれした国のようにも感じられる。英語を話し、政府の仕組みがよく似ており、銃の文化があり、ファストフードとハリウッドが愛されているからだ。