(英エコノミスト誌 2017年2月4日号)

冷戦時代の沖縄への核配備、米政府が初めて公式に機密解除

沖縄県宜野湾市にある米軍の普天間飛行場(2009年11月7日撮影、資料写真)。(c)AFP/Kazuhiro NOGI〔AFPBB News

東アジアで地政学的な緊張が高まるにつれ、琉球諸島の不快感も高まっていく。

 1年のこの時期、日本の北の海岸には流氷が打ち寄せるが、南の琉球諸島では農家の人たちがサトウキビを刈り取っている。日本列島はとてつもない距離に広がっている。北海道の北端の宗谷岬からは、ロシア極東のサハリンの影が水平線上ににじんで見える。琉球列島最西端の与那国島からは、時折、台湾東部の山を見分けることができる。

 この旧正月(春節)、沖縄県を構成する琉球諸島は、行楽客でごった返していた。沖縄は、あらゆる趣味を楽しめる楽園の島としての評判が高まっている。冬の太陽と免税のショッピングモール、そしてボリューム満点の炒め物(名物の1つはスパムだ)を求めて、中国本土の家族連れがパッケージツアーで那覇空港へ流れ込む。

 那覇からおよそ400キロ南に行ったところでは、クルーズ船がサンゴ礁の間をすり抜けて石垣島の港に入り、地元の黒真珠が目当ての台湾人観光客を降ろしていく。一握りの冒険家たちは与那国まで足を延ばし、シュモクザメが泳ぐ中でダイビングしたり、久部良の埠頭に立ち、漁師たちがメカジキを獲って持ち帰って来るのを眺めたりしていた。この島は、生命を育む黒潮のど真ん中に位置している。

 安全保障にかかわる人の間で、沖縄は駐屯地の島として知られている。F15戦闘機の轟音は確かに那覇生活の1つの要素となっている。

 だが、大半の訪問者は軍のプレゼンスをほとんど感じない。心地よい安らぎは、観光パンフレットが作り出す虚構ではない。平和主義は、沖縄人の自意識にしっかり焼き付けられている。元沖縄県知事の太田昌秀氏はかつて、1879年に日本に併合されるまで独立国だった琉球王国の最大の特徴は「平和への献身と武器を持たないこと」だったと語ったことがある。

 沖縄の人たちは好んで、バジル・ホールを引き合いに出す。1816年に琉球を訪れ、王国の温和さと礼儀正しさ、そして武器がない様子に驚嘆した英国海軍大佐だ。ホールは後に、セントヘレナで流刑生活を送っていたナポレオン・ボナパルトのもとを訪ね、琉球の話をして皇帝を困惑させた。「しかし、武器なしでどうやって戦うのか」とナポレオンは叫んだという。