皇居の二重橋。生前退位は本当に日本の「伝統」に反するのか?

 昨年8月に、天皇が「生前退位」の意向を示唆してから、天皇の退位をめぐる論議が始まった。政府の有識者会議は1月23日に「論点整理」を公表したが、退位に反対する人とそれを認める人が対立して結論が出なかった。「一代限りの退位を認める」という方向をにじませているが、法改正ができるかどうかは微妙だ。

 この有識者会議で特徴的なのは、渡部昇一氏や櫻井よしこ氏などの保守派が「退位は皇室の危機だ」と強硬に反対していることだ。彼らの脳内では「万世一系」の天皇が神武天皇から続いているのかもしれないが、もちろんそれは神話である。終身在位で男系男子の「天皇制」は明治時代につくられた新しい制度なのだ。

「天皇制」という制度は存在しない

 天皇制という言葉は、コミンテルン(第3インターナショナル:各国の共産主義政党による国際組織)が1932年に出した日本共産党に対する指令(32年テーゼ)の中で、打倒の対象として設定した造語である。一般的な概念(共和制の対義語)は君主制だが、天皇制という言葉は明治国家の特殊性をよく示している。

 江戸時代まで天皇は摂政や将軍の決定を追認する無力な君主だったが、明治憲法で「天皇大権」の絶対君主に改造された。ところが保守派は明治時代の「強い天皇」を神武以来の伝統と錯覚し、「生前退位は日本の伝統に反する」などと言っている。

 彼らの論拠は皇室典範第1条の「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という規定だが、それも明治国以降の新しい制度だ。

 明治維新と呼ばれる内乱は長州の下級武士が起こしたものだが、彼らは自分たちを「官軍」として正当化するために「万世一系の天皇」を利用した。尊王攘夷などというスローガンは誰も信じていなかったが、「日本古来の伝統を取り戻す」という安倍首相のような錯覚は、昔からどこの国でも革命に使いやすい。

 この錯覚を制度化したのが明治憲法である。その第1条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」で「万世一系」という言葉は初めて使われたが、この言葉をつくったのは岩倉具視であり、天皇家の権威はここから遡及してつくられたものだ。この条文を起草した伊藤博文はその意図を次のように述べている。

欧州に於ては宗教なる者ありて之か機軸を為し、深く人心に浸潤して、人心此に帰一せり。然るに我国に在ては宗教なる者其力微弱にして、一も国家の機軸たるへきものなし。我国に在て機軸とすへきは、独り皇室あるのみ