日銀がいくらカネをばらまいてもデフレは脱却できなかった

 新年の朝日新聞の連載が、ちょっと話題になった。1月4日の1面の「経済成長は永遠なのか」という記事は、「成長は永遠だと思わないほうがいい」と結ばれるが、そんなことは自明の理である。問題は成長をやめてどうするのかということだ。

 日本の政府債務(一般会計)は1100兆円を超えた。これを返済するには、将来の消費税率は30%以上に上げなければならない。逆にいうと、われわれの世代は将来の成長による税収をを先食いしているのだ。ここで成長をやめたら借金をどうやって返すのか――朝日新聞のような「脱成長」論者は、その問いには答えてくれない。

「脱成長」は将来世代に重荷を背負わせる

 一般会計より深刻なのは、社会保障特別会計だ。厚生労働省が「百年安心」と言う公的年金の予定利率は、ゼロ金利時代になっても4.1%のままである。今の社会保障システムは、今後100年も平均4%以上成長することを前提にして設計されているのだ。

 成長率が(純所得ベースで)ゼロになると、鈴木亘氏(学習院大学教授)の計算によれば、2050年には(税・社会保険料を引いた)可処分所得は今の半分になる。急速に人口が減って高齢化する日本で「脱成長」を目指すのは、経済的な自殺行為である。

 可処分所得が減っても政府部門の所得は増えるので、経済全体としてはゼロサムだが、現役世代から年金受給者に巨額の所得移転が行われる。これは金融資産の65%をもつ60歳以上に対して、ほとんど貯蓄ゼロの若者の賃金を移転する「逆分配」であり、労働意欲や個人消費に影響を及ぼす。