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ドナルド・トランプ次期米大統領。ペンシルバニア州ハーシーでの勝利感謝の集会で〔AFPBB News

 米国大統領選の結果は大方の予想を覆し、定評ある米調査専門機関の直前のみならず開票開始直後までの予想に反する結果となった。米国民はもちろんのこと、世界中が「まさか」の事態に強い衝撃を受けた。

 この原因と理由は様々なものがあろうが、最も影響が大きかったのがグローバリゼーションの波をもろに受けた低学歴白人労働者を中心にして、米国の政治・社会における規範(Political Correctness)の偽善性が表面化したことだろう。

 自由と平等(性・人種・信仰・移動)とこれに基づく文化的多様性を標榜してきた米国が、実はこれに対する偽善性をしっかり内包してきたことが明らかになった。そして、米国の指導層と世論を先導すべきマスコミが、その深層心理を読み取れなかったことも大きい。

 これはあたかも東日本大震災における福島第一原子力発電所の安全性確保施策における津波高想定が「まさか」の事態を招いたのと同質である。

 原発の安全対策では実務者から著しく高い予想津波高の提示があったにもかかわらず、費用対効果が合わないとして経営幹部がこれを真剣に考慮せず、想定外の災害を引き起こしてしまった。その結果、未曾有の国家・民族的被害をもたらした。

 今回の米大統領選もこれと似ている。

 米マスコミは、経済格差の拡大で憤懣やる方なかった白人低学歴者などが行動規範のタブーを破ったトランプ候補に内心喝采を送り、また高学歴・高所得層にも「隠れトランプ派」がかなりの割合になると予想されていながら、甘く見過ぎてしまった。

 クリントン陣営も十分に真剣な対応を取らなかったため「まさか」の事態を呼び込んでしまったと言える。

 さて、福島と米大統領選の「まさか」の事態から私たちは何を学ぶべきだろうか。とりわけ安全保障の面で十分な対策が取られているか心配になる。安全保障で「まさか」の事態が発生すれば、それこそ取り返しがつかない。

 完全非武装を規定する憲法の建前上、現実の国際情勢に対しての安全保障政策および防衛施策においての法的正当性(Legal Correctness)の偽善性が安全と防衛を機能不全に陥らせる危険性を、福島と米大統領選に学ぶべきである。

安全保障、防衛上のまさかの事態

 我が国の国民性は極めて善良・公正・信義を重んじて性善説に傾き、いずれの国も謀略を尽くし力で国益を追求することを憚らないのに、今なお国民の多くが、特殊な国際環境下に与えられた「平和を愛する諸国民の公正と信義に期待し我等の安全と生存を図ることを決意する」とする憲法的国際理念を盲信し続けている。

 これでは、第2次世界大戦の最終局面で、限りなく無慈悲に権謀術数を行使してやまず虎視眈眈と我が国に対する侵攻を狙っていたソ連共産党政府に米英への和平斡旋を懇請するような、愚かな方策の轍を踏みかねない。

 我々は我々の理解を超え人道主義や不正を顧みず隣国を侵害する事態のあること忘れず、これらを冷厳に隈なく考察して有形無形の備え講じなければならいのだ。

 第1の「まさか」は暴虐無道、他国民を平然と拉致して人権を蹂躙して憚らず、世界の糾弾を浴びながらも核ミサイ開発に幕進している独裁国家北朝鮮の核ミサイル攻撃事態だ。

 射程1300キロのノドン200発の保有目的は我が国を第一の目標にしていると考えなければならない。この防御には現在の限定されたイージス艦搭載ミサイルとPACミサイルではその飽和攻撃に対応できない。

 したがってTHAADなどの導入だけでなく、積極的にその攻撃を阻止のため発射基地を制圧できる手段(例えば米海軍のトマホークCM)の整備が欠かせないが、真剣に考慮されている気配はない。また日本海沿岸の原発施設攻撃やCBR兵器を使うインフラ攻撃という「まさか」の事態も想定されているようには見えない。

 第2の事態は中国に関わる問題だ。尖閣諸島への実力行使は現実のリスクだと認識されるようになってきたが、南西諸島への直接侵攻も決して架空の事態ではない。

 米国は尖閣事態に安保条約発動を盟約しているものの、米国内では「防衛努力の十分でない日本の無人の岩礁防衛のためになぜ米国青年の血を流さなくてはならないか」との声も少なくない。